石川県立音楽堂開館15周年記念スペシャルコンサート

2016.09.03
石川県 : 石川県立音楽堂 コンサートホール
午後 2時開演(午後 1時15分開場)

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野村萬斎 狂言師
金沢素囃子保存会 素囃子
オーケストラ・アンサンブル金沢合唱団 合唱

鈴木行一 : 勧進帳 ―素囃子とオーケストラ・混声合唱のために
モーツァルト : 交響曲 第35番 ニ長調「ハフナー」 K. 385
ラヴェル : ボレロ(舞・野村萬斎)

チケット: S¥4,500- A¥3,500- B¥2,000- OEK定期会員¥1,000-割引(S,Aのみ. 音楽堂チケットボックスでの取扱) 25才以下当日券50%OFF(要証明書類)
演奏会お問い合わせ先: 石川県立音楽堂チケットボックス TEL076-232-8632

【道義より】

このコンサートは萬斎さんのボレロだけではなかった。ボレロの舞は大変良く考えられていて古い伝統に
根差した動きに、ダンス等での多くの現代の体の動きを取り入れ美しいものになっていた。
お客さんは中国からの人もいた!爆人気。

しかし実は、この部分ではないところに今回のイベントの大きな事件があった。
それが誰も知らない「鈴木行一 作曲 勧進帳」だった。
音楽作品としてはまだ多くの実験的でジョイント部分のアイディアがまだ消化しきれていないものであるが、
この舞台作品は金沢にとっては基より、日本の現代音楽にとって大きな出来事であったと思える。
実ははじめ、武満徹のノベンバーステップスをやりましょうという提案があったが、
私はその案にどうしても乗れなかった。
あの作品は60年第70年代、日本邦楽のイディオムが再発見された?時代のもので、
今、室内アンサンブルのOEKを持つ金沢が、15周年記念としてやるにはあまりに後ろ向き、
非創造的であると言えないかと感じられたからだ。
武満が「西欧のイディオムと東洋のイディオムをぶつけた!」と言うにしては、
西欧の部分(オーケストラ)に、ヨーロッパの歴史を背負ったオーケストラの演奏者の生理的配慮と
ハーモニー、リズム、の持つの歴史的意味の表現が希薄だからだ。

金沢は、芸妓さん達もが培ってきた長唄、素囃子、いまは風前の灯火だが宝生流能の伝統など、
生きた邦楽がまだある。コンサートと背向かいの邦楽ホールは、今もかなりの数の邦楽系イベント
をこなし続けている。

ラフォルジュルネなどでなくともOEKはいろんなアイディアに満ちた邦楽とのコラボレーションを続けてきた。
それをやらないで15周年はない、邦楽との両輪を切り捨ててはいけないと感じたのだ。
邦楽の在り方に対しては、実は普段はかなり否定的な視線を送る、道義でさえそう思ったのだ。
そのうえ合唱団も金沢には存在している。
「コーラスも重要な位置を占めるように書かれている、鈴木作品の「勧進帳」!という作品が10年前
に演奏されましたがその時は、いろんな事情で何だか未消化で終わっています。これどうですか?」
と提案したのが事務局の斉藤、床坊。
楽譜を見てやる気にはなったものの、手書き楽譜の醸し出すあまりの見にくい不完全さに呆れ果て、また道義自身の
生半可な勧進帳への付け焼刃勉強(弁慶?)ではまったく歯が立たない作品と知ってからは辛かった。
いや~~~~なんとも苦労した~~~知らないことばかりなんだから!
日本語なのにまったく意味不明なんだから。
でも、そのまま、判んないまま、お客さんに丸投げするのは
「演奏者と観客の間を取持つのが指揮者!」の哲学を持つ俺には、絶対に出来ない事だった。

お着物を着て演奏する側から見てこちら側は、「日本人のくせに日本の伝統を知らない阿呆」、
こちらから見れば「いつもは洋服来て蕎麦うどんでなく、パスタを食べるのに何で、五線譜もわからんで
突然ひざを折っての口伝演奏だ、大体足に悪すぎるだろう!何言っているかわからないならば、
外国語のほうがまだ疲れない!」という双方の反目。
しかし、そんな互いに内部に巣食うアンヴィバレンツな自己の精神状態への不安を隠した通り一遍の
お付き合い拍手で終わる、「お祝儀15周年コンサート」にはしたくなかった。

だからもう人に聞きまくり助けてもらいまくった。
お能の渡邊筍之助さん、合唱団の中にいらっしゃるお坊さん、邦楽アドバイサーの児玉さん、勿論インターネットさま、
邦楽監督の駒井さんにはもちろん・・・・「なんとなく」はわかっている邦楽事務系の皆さんに恥知らず(普段からだが)
だが教えてもらい「遠慮は芸術の敵だ!」と叫びまくって勉強した。弁慶役のバスは流石に最低音の
本当に声出るバス歌いに来てもらった。いや~~なかなか素晴らしい声だった。
浅地、奥村、木村、熊谷、鈴木の皆さんありがとう
責任をもって作った字幕は、初めての勧進帳の人にでも判るように、
そしてワザと難しく書かれていて、人を煙に巻くような部分は、
見にくくて判りにくいから、字幕を見ないで音を聞く羽目になる=漢文風カタカナ交じり、
の字幕にしようと児玉さんと決めた。

多分成功した。・・・・・と思う。四十の手習いどころか七十の手習いだった。
意見があったら下さい。

何しろ、こうやって明治維新以来、西欧文化と日本文化は反目と憧れの狭間でこの国の芸術は常にダブルスタンダードで、
歪めていて、逃げの一手で過ごしてきて、憲法までその影響下にあるのだから根が深い悩み。
とはいえそこが「面白いと思えば」楽しめる作品だった!

破風菜亞じゃなかったハフナーはOEKの十八番中の十八番。コンマスが変わり、病欠が出始めた中年OEKも
27年の積み重ねをお客さんに「いとも簡単に聞こえるように、明快な明暗と清らかな空気感」として届けたと思う。

ボレロは、僕から見れば「ベジャールとの対決」、萬斎さんから見れば「ベジャールが能舞台に刺激された」という作品。
照明とオーケストラに囲まれての神事のような奉納ボレロを、
朋友、足立恒さんの照明で萬斎さんの空中静止は見事決まり、宴を愛でてくれた。


今回は本当に裏方さん一人一人に感謝です。健太郎さん...天才。宮下さんお疲れさま。


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