【NHK/Eテレ】クラシック音楽館 / 井上道義指揮 オーケストラ・アンサンブル金沢演奏会

2018.05.06

午後 9時開演

2018/05/06(日)Eテレ 21:00放送
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2007年から今年3月末まで音楽監督を務め
オーケストラと共に精力的に活動を続けてきた井上道義。
「シェフ」としては最後となった東京公演の模様をお送りします。

1.朝の歌(プーランク)※
2.交響曲「朝」(ハイドン)
3.交響曲「昼」(ハイドン)
4.交響曲「晩」(ハイドン)

管弦楽 : オーケストラ・アンサンブル金沢
ピアノ : 反田 恭平 ※
指 揮 : 井上 道義
(2018年3月19日 サントリーホールで収録)

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【道義より】

昨日NHK、ETVで、放映があった。反田君実に素晴しい演奏。
彼はいつか指揮をやるだろう。OEKも渾身の演奏、アビゲイル(コンマス)も
メンバーも持てるものはすべて出していた。
NHKに、心から感謝!節目節目の演奏をいつも残してくれる。
ところで...アンコールで脱いだシャツはドナルドダック。
もう一回アヒルを飼う事にしたのだ。あと数年は俺も元気だろうしね。
残念なのは昨年のバーンスタインミサだけれど、実はバーンスタイン財団の問題
これもかえって、大阪朝日放送の芸術への愛に溢れた先輩の石田さん達有志による
カメラ12台による特級の映像が残されることになりました。これぞ神の采配か。
放映されれば世界中が驚愕する素晴らしさなんだから!!


この機会に前に予告した「一切合切」を書く。

道義より金沢との11年を経て    2018年5月

アンサンブル金沢は岩城宏之さんが、少年時代の疎開の思いや、80年代までN響の
ステージマネージャーをしていて岩城さんの友人でもあった延命さん(学生時代、
N響の練習や本番をただで聴こうとして、尾高忠明と違ってコネがない僕を何度も
追い出したなあ!あの人!能登の大きな地主だったらしい)に頼まれたことが切っ掛け
で、まだ音楽不毛だった金沢に、名フィル、札響に続きオーケストラを作ろうと、
1988年創設した楽団だ。
その時金沢には、文化と都市というもの関係を真に理解する知事と市長が居た。
楽団は、【小さくとも世界に通用する多国籍な生え抜きの奏者による40人程度の
アンサンブルオーケストラ】というコンセプト。
初めの数年こそ低空飛行だったが、東西冷戦の終結=壁の崩壊によって、新天地を
求め優秀なヨーロッパの音楽家が沢山参加してきた。
異文化、すなわち、生来から身に着けたヨーロッパ音楽の内実を、金沢に身体と共に
もたらしてくれてから、OEKは身の軽さを武器に日本中に非常にたくさんのツアー
を行い続け、海外ツアーも欧州を中心に、毎年続けて、日本中のオケには
刺激的存在になった。

岩城時代の18年間にも井上は幸い、彼に次ぐ数(40回以上)の演奏会を
指揮していたし、岩城さんが2006年亡くなったとき監督を引き受けた。
僕は小澤征爾氏のもつ猛烈な暗譜力や、なにがなんでも、最先端に立とう
という強い上昇志向は持ち合わせていないが、真に古典的な作品を、
自分のものにし、人を唸らせたいという激しい本物志向が若い頃から強く、OEKは
魅力的でもあった。また金沢には21世紀美術館には蓑さんというデキブツが、
素晴らしいコンセプトとアイディアで現代美術を市民に愛され、観光客が訪れるるもの
にしていた。僕もそのように愛される楽団に広げようというテーマで、アイディアを
どんどこ出して、「開拓」をしてきた。
ラフォルジュルネを、金沢に招致したのはその一つ。大成功だった。毎年人が増え、
4日間で10万人を越した(金沢は40万都市)
今その方法を地元が地元のものとして「緑と森の音楽祭」としている。

さて、
だが僕自身は、2010年6月には、将来新幹線が金沢に来る2015年までに
退任するつもりでそう書き、『アンカナ五ヵ年計画』という文章に書いて財団に提出した。
(非公式に書いた「アンサンブル金沢オルガニゼーション」という文と共に出した。)
内容は楽員の処遇(待遇ではない)の世界基準への道程と、事務局の音楽堂と楽団の
両翼への運営(錯綜しすぎている)の責任体制を明快にするための提言だった。
しかし・・・・何故かそれは受け取った人の引き出しの中に仕舞われただけだった。
1年経ち2年経ち、上、すなわち知事や副知事、局長、部長から返事がないので、
握り潰されたのかと感じ、知事や少なくとも副知事に話をしたいと正式に申し上げたが、
全く無視。知事に直接話が出来たことは全くない。
どうやらその原因は【そういうことは音楽監督の仕事ではない越権行為】という視点が
財団幹部にあったようだ。これは全く間違っている。音楽監督は定款にある「樂団員」
の一人ではないのだから(気持ちは「その一人」だが...)
井上は井上道義という個人でなく音楽堂そのもののアドバイサーで、また楽団の
音楽監督なのだから、知事又は理事長と話をさせない、文章は渡さないというのは
逆に職員による越権行為ではないか?
お役人的なヒエラルキーの下部として、石川県芸術文化事業団という財団に雇われた
一楽隊長という、まるで16世紀の貴族のような捉え方は時代錯誤で世界基準からも
遠くどうにもこうにも・・・。
初台の新国立劇場芸術監督、音楽監督、はどうなのか?最近ハリルというサッカーの
監督がやみくもに解雇されたが、彼個人の事はさておき、同じ図式が感じられる。
財団はアンサンブル金沢をどんな存在にしていくという哲学を持つものではない。
でもタックスペイヤー=普通の人々にはそんなことはどうでも良い事だし、財団は
客がたくさん来れば成功という事だ。
だからこそ、その辺のせめぎ合いを公にする必要がある。
ところで毎年県議会で初議会の初頭に議会場で献奏するという儀式も、
日程を理由にここ数年やっていない。
それは定年になった初代のジェネラルマネージャー山田正幸氏から、
岩崎厳ジェネラルマネージャーに移行した頃で、いつの間にか音楽堂の中は正式な
チーフともう一人影のチーフという、双頭の竜、社長と会長?無理もないのだが。
その山田氏と始めたラフォルジュルネだが音楽祭というものの捉え方や、
全国ホール共催での展開での高質なオペラ公演などの質の問題でも、2012年頃
から次第に齟齬が出始めていた。
そんな頃、僕は、北朝鮮国家交響楽団を振りに行った。
彼の楽団がアメリカに招待されニューヨーク、ワシントンで新世界交響曲を
演奏する予定があるので良い状態でもっていきたいのでしっかり練習をしてくれる
指揮者を日本から招待したいという理由で、打診があり他の指揮者はビクついて
断ったが
「いつもと同じ出演料をいただけるなら、どこのオーケストラであろうとやります」
という条件で、初めて平壌に行ったのは2011年。
まだ金正日の時代で小泉首相が電撃訪問をしてからまだ6年目であった。
金正日は、オーケストラ音楽が好きで、音楽で壁を飛び越えようと考えてようだ。
国立交響楽団の楽員は住むための十分な施設があてがわれ、音響の良い素晴らしい
ホールで活動を重ねていた。行って目で見て耳で聴いて、驚いた。
その時の新世界交響曲演奏の後、アンコールとして交響楽団と民族楽器のために巧妙に
編曲された「アリラン」を指揮したが、その作品に内在された、国が2つに分かれた現実
と、人々の統一への強い憧れ、は男女の互いの憧れに似て、悲しくも心打たれた。
拉致問題どころでなくあちらではそのような事が何百倍と起こっていると知った。
原因は国を分断した世界政治、またその後の2国の政治家にある。国民にはないと。
日本は分断されなくて良かった強く思い帰国した。
その年は、僕の行動に、メディアも、議会も、誰も、何にも、まったく問題にしなかった。
しかし金正日はその年12月に亡くなり、交響楽団の訪米は(もちろん指揮は兵庫で
生まれ育った自国の日本語が僕よりきれいな音楽監督の予定であった)オシャカに
なった。音楽外交は、スポーツのそれと同じように少しは足しになったはずだった
のに・・・。

2回目の訪問は2013年。何故か人々の捉え方が違った。スマホの発達の影響か。
その時はベートーベンの第九北朝鮮初演をしてほしいと言われたのだ。
僕自身は90年代に3年間繰り返し放映された【第九をを歌おう】というNHK 
ETVの番組の経験もあり、初めての・・・にはめっぽう自信があったのだ。
頼むと言われ、それではと10人程のジャーナリストを含む友人たちが観光ビザで同行、
今度は少し長めの1週間の滞在で、生まれて初めてドイツ語に遭遇した合唱団には
ドイツ語発音矯正、楽団には作品の細かい意味付けの説明等は体力勝負だった。
2度目の信頼感からか、海綿のように僕の言う事を吸収しようとするが、多少心を
閉ざし気味のオーケストラメンバーとの1からの練習は、精神的にもハードで、
冬なのに帽子を忘れていったハゲジジイの僕は疲労し風邪(後でインフルエンザと判明)
になり、危なく演奏会自体をキャンセルしそうで絶不調!
無理やり平壌の病院から通い無事コンサートを終えた。
(それらの記録もこのブログに張り付けてある)
しかし帰ってきたら今回は一部の議員が過激なリアクション。
議会で谷本知事は十分僕の立場を守ったが(立場上守らざる負えないともいえるが)
右翼の街頭車が土砂降りの雨の中、音楽堂の外で大声で糾弾する有様。
音楽堂スタッフに至っては今にも井上が刺されるようなびくびくした感じで出入りは
裏口ばかり。
俺はそんな小心者じゃなくて、第九のためなら命を張る、ショスタコだけでなくね。
多分・・・・・・・その頃から何だか道義は、面倒な人間と思われ出したかな。

ここからはツマラナイカラ普通の人はもう読まないで良い

ちょうどその頃、大阪フィルから音楽監督を頼まれた。
財団の三国専務が「道義さんそろそろ大きなオーケストラ振りたいのでしょう?」と
通りすがりに耳打ちをした。この方は県から来られた方で、僕は彼の世界とは違うで
あろう、音楽界、というものの難しさを理解していただこうと彼の新任の時、
京都でゆっくりと話し合いをし、それ以来チャンスあるごとにアンサンブル金沢の
意義を理解していただくように努力をし続けた...つもりだった。
が全て...その一言で徒労に終わったと感じた。
指揮者は兼任を禁止させられている公務員と違い、ここ50年ほどは日本もアジアも
世界も兼任ばかりなのだ。
それでも道義ジイサン気を使って多少遠慮して大フィルには首席指揮者という名義で
就任したのだが、まったく理解されなかった。彼だけじゃないけれど・・・。
三国氏は、確かに石川県内で楽団の受容の裾野を広げる努力はしっかりやられた人。
しかし、その衆知すべきOEKの内部の刷新、事務員の旧態依然たる全員参加型体制から
の脱却や、ラフォルジュルネの交渉、2年先3年先の外国演奏旅行へ必要な絶え間ない
根回し、また、蔓の枝のように錯綜した楽員組合の合議事項の刷新などには触れなかった。
少なくとも山田正幸時代には彼特有の自転車操業的な人の動かし方と共に、ホールを満杯に
する為の手紙、葉書、電話攻勢の努力があった。いまそれがない!
代わってすでに久しい現ジェネラルマネージャーの岩崎厳氏は、山田流の必要はないが、
少なくとも、事務局を明るくし、人々の仕事を合理化し、リタイヤする年齢の楽員さんや
(これからどんどん増える)故障した楽員再雇用にも希望ある明るい別な道を考え、
アイディアを持って臨んでいただけないだろうか?
僕は病後、喉の動きが不自由で、長く話し続けることは相当辛い。悪いけれどこうやって
人前で大声で書く。
まず事務局には英語がちゃんと使える人は一人もいない。外人ソリストや、外国の組織との
ブッキングなど、東京を通さず直接やるのも結構だがそれには、今探せば必ず見つかる
広い芸術知識と語学の達人が必要だ。勿論少なくとも首席楽員と同じだけの報酬でないと
金沢に常駐させることは出来ないだろう。
これから、3人指揮者体制で(4人か)やるのは良いと思う。
道義はもうすっかりホッとしているのだ。
でもその3人誰も金沢に常駐しないのだから、よっぽど体制を構築し直さないと!
楽員さんも今から高年齢化して大変な時代に入るのだから・・・床坊さん頑張って下さい。

心配する悪ガキジジイ道義より


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