■サンクトペテルブルク交響楽団
5th Concert
2013/04/07(日) 15:00開演
サンクトペテルブルク・フィルハーモニア ボリショイ・ザール
チャイコフスキー フランチェスカダリミニ
チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
ストラヴィンスキー バレエ組曲「火の鳥」 (1919年版)
4月1日に成田より入ったペテルブルグはまだ冬だった。雪が舞い、運河は完全に氷が貼り歩ける状態。乗って写真を撮りたかったが平壌以来、体が突然80歳位の老人状態ですっ転んでツアーが潰れたら笑いものだという全く僕らしくない心理状態でやめました。万年少年的幼稚な私もドミトリエフ音楽監督に信頼されているのがヒシヒシと感じられ、練習に、本番に頑張りました。幸いペテルブルグは食べ物が良く元気になってきていました。何しろ金沢定期の前40度の熱が出たあとは4キロ痩せていたから・・・・・。6日にテミルカノフのオケを振るロジェストビンスキー氏に遭遇、あちらから僕の名を読んでくれる記憶の良さ!には大いに感激。練習を見たあと楽屋で「あの曲を取り上げるとは(モスコフスキーの珍しいシンフォニー)とってもアンユージュアルなプログラムですね!」と言いたかった僕の口がなんだか滑って「ユースレスなプロですね!」と言ってしまい心の中が英語に訳されて大慌てして言い直した無防備みちよしでした。
ペテルブルグとの時差は6時間。金沢で初練習したときはオケは半分完全時差ボケ。コンマスが怒り!「こんなことでは日本に二度とこれなくなるぞ」と激を飛ばした。
このオケの素晴らしさは、ウイーンだベルリンだシカゴだロンドンだという感じのローレックスの時計とかベンツ等高級車を好きな人には多少不満があるだろう価値観を持つ存在だ。あたしゃもう66歳、恥ずかしげもなく書くが、自分は最高級なのだと5歳の時から思い込んでいるせいで、そういうものにあまり興味がなくどちらかというとその場で真剣になっている集中力と全力を出そうとする姿勢にこそ人生の糧を感じる人間なんでこういうオーケストラが好きだ。
そんな中でそうは言っても七転八倒・・・金沢では暴れそうになる馬を本当に死に物狂いで手綱を締めまくったので・・・振り終わったときは死ぬほど疲れた。生きている喜び?冗談じゃないよほんとに!
間違いなく忘れられない演奏になった。内容には作曲者自身も疑いを持っていたフランチェスカリミニではこのオケと一緒にまるでチャイコフスキーが書きたくなった時の衝動がそのままが再現できた。4番のシンフォニーも世界中の立派な指揮者がこの作品を立派に聴かせる?立派に響かせるばかりなのに邁進するのに全く賛成できない僕のこの作品への解釈(被害妄想狂が書いたとしか思えない追い詰められた内容を再現したいというもの)にビッタリ着いてきてくれた。音響的にも勝手知ったるサントリーホールに助けられた!
この日は主催者からしゃべりまくってくれと言われていたのですが、それにしても話しすぎた。誤ります。バレエのことになると歯止めが効かない自分が居た。家族には「体調が完全でないから話がネガティブな方面に傾く」と言われた。それも正しいが・・・本当は・・・本質がとてもネガティブなみちよしを両親にもらった健康な体がなんとかカバーして生きているというのが正しくないか。
お客さんが本当に音楽が好きな人たちだけが来ていたように感じられ、幸福だったし、オーケストラもそれを感じていたのだろう真摯な演奏だったから、自然と熱い演奏になり、いつまでも止まない拍手となった。東京から日帰りだったが春の暖かい日となり桜が満開でもあり印象深い岡谷への旅だった。
港が以前と比べて段違いに整備されていて美しく感激。遠くに見える屋島はいつ見ても何かが起こりそうな、不思議な景色。関ヶ原とか、川中島とかある合戦の場と比較して遠くか見えるせいか?まるでゴラン高原のような台地には今でも戦いの叫びが聞こえるようだ。お客様も本格的!イサム野口が住みたくなったのもうなずける。ただし、ホールは音楽ホールとしては床のカーケットに吸音されて乾いた音になるのが残念ね。
音響的にはやはり純粋さが素晴らしいホール。もう築30年になるとは!日本のホールラッシュの先駆けとなった存在はいま荒波に揉まれている。しかし不死鳥のように存在し続けて欲しい。朝日放送から変わった新しいオーナーに今度は日本の人々の生活を豊かに支えるためのパトロネージュ運動の先駆けとして語り継がれる存在になっていただきたい。意外と大阪はなんでも先駈けとして存在する街だ。
ツアー最後を締めくくる練りに練った演奏を録音録画して残せました。本当に嬉しい。金沢で七転八倒したのが今ここで全て報われた。明るく助けてくれた太陽に感謝、酔わせてくれた音楽に感謝です。オーケストラは帰国便のルフトハンザが世界的なストライキで半分は成田にもう一晩足止め・・・でも彼らはじつは喜んでいた。
森川元気が面白いキャラクターでバストロンボーンが人間になった様だ。面白い曲でこれから彼が持っていたブルーベックの曲はバストロンボーンの大事なレパートリーになるでしょう。また氷見くんもどんどん伸びて欲しいと思います。明るい竹多さんには人生が微笑むように!リヒャルト・シュトラウスの管楽器の作品は残念ながら楽しめるまでには至らなかった。
文字通り色物のコンサートになった。
素晴らしい天気に恵まれ、オーケストラが愛する大賀ホールで「色物」と言われるレパートリーでしたがお客さんの欲しいものをオーケストラ曲では上質な軽井沢風に、コンチェルトでは竹澤流の個性に寄り添って渡せたと思います。大賀さんの奥様が毎回来ていただけるのが何より嬉しいです。収容人員が少ないホールで、アンサンブル金沢でさえ黒字にはなりません。とはいえ、あのホールでのOEKはほかでは絶対に得難い結果を出しますね。それはやはり軽井沢マジックでしょう。僕も子供の頃からの思い出・・・草軽電鉄に乗って北軽井沢の駅まで行ったときの記憶はまるでおとぎ話そのものだった・・・・がある軽井沢はその全体がハイソサエティーのものであって良いのだと今でも私は思います。世の中には上流や中流や下流があって何が悪いかと正直思います。上流が幸福だなんて全然言えないことをよ~~~~く知ってしまったこの年だから書きます。水は上から下へ流れる。それを逆上る魚にこそ生きているという自覚があるだろう(僕の父親は下から上に上がり、年老いてズルズルと流されていったし若い頃には途中では戦争さえあったのだ)。もちろんその場に居続けるだけでも大変なことだ。そして人は100年は、なかなか生きられない。そんな中のある日、音楽会。
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