今は癌研有明の病室から梅雨に入って霞んでいるゲイトブリッジや、着陸する飛行機を見ながら書いています。元気ならば、ミツオカ卑弥呼のオープンカーで走り去るようなところで、ユリカモメなどが目の前を走っています。
癌を発見してからすぐに入院というわけにいかったのは、医者も音楽家と同じで得意不得意があり、僕のタイプの咽頭がんに良い技術と経験、また自宅からのアクセスなどを考えてこの病院に決め、5月26日にようやく入院治療が始まりました。それまでは「通院」で色々やっていました。また、愛情に満ちた友人たちの紹介あればまずは名医に直接お会いして、その病院の人々を感触を肌で感じて見たり、それぞれの専門の話を聞いてみり・・・・贅沢に、後悔することが無いよう石橋を叩いていた時期もありました。僕は聴きに行った音楽会であんまりな場合はそっと抜け出すことが多いのですが、自分の命を預けた病院を抜け出すようなことはしたくないから。
ここに来て「僕なんていい方なんだ」と思える患者さんが多いことに愕然とします。癌研はみんながガンですから可哀想。みんな下を向いている感じ。
というわけで幸い併発症のない僕には、がん専門病院として多くの経験を積み重ねているここでやっていただこうと腹を決めたのでした。
今約4分の1あたりの進捗状況です。放射線の影響はそろそろ出てきていて顔の下部は赤くなり、舌はザラザラで蕎麦を食べてもセメントでできた蕎麦に塩味の薄いコーヒーの汁みたいです。俺はもともと味なんかわからないで、感触を楽しんでいたとか言いながら・・・。
基本の経過は良くて順調ですが、思わぬに伏兵に苦しんでいます。
とんでもない咳の攻撃と持病の尿路結石
入院以前から多分腫れてきた喉の奥からの誤嚥を止めようとする気管支の反射運動だろうが、夜も昼も5分おきに体が捻れそうな咳の連続。
眠れないから気が変になる(もともとだけど)体力が落ちる(腹筋が強くなったかも)。
これを止めてくれたらもう一つ癌研作るからと病院にいくら言っても実行しない。
咳を無理に止めると、誤嚥誤飲が生じる危険があるのだという。
「ふざけるな俺は眠れないんだ、何とかしろ」といっても暖簾になんとやら。
ちょうどその頃、妻の珠世の母親黒田文子さんが91歳で突然大往生、珠世は世界的大指揮者道義をガダルカナルの戦地に打ち捨て故郷西ノ宮へひとっとび。単身?、夜も昼も続く咳と発熱をいう拷問3夜。なんとその上、ベッドに寝たままになると必ずぶり返す尿路結石が今回もご親切に右腰辺りに鈍痛をもたらし・・・・・2日かけて次第にクレッシェンドして・・・疼痛!、そこでボルタレン痛み止め薬によって劇的に解消、同時に眠ることもできた。
この病院には珍しく漢方の科がある。その先生のかなり見方の違う姿勢というのは、オーケストラに必ずいる異端児と同じで邪魔とは言い切れない存在だ。
その先生の意見と僕のかかっている頭頚科の僕の「咳」というものへの見方の違いに、井上自身が責任をもって舵を切った部分があった。結果が長い目で見てどうかはまだわからないが、少なくとも今、咳は収まりつつあり、眠りも少しは取れる方向だ。
2014・6/7
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