マエストロ、アバドの追悼文...何ともやるせない。
世界中のトップ・オーケストラの音楽監督や首席指揮者を務めたアバド。スカラ座、ウィーン国立歌劇場、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団...それだけでなく多くの新しい団体、ヨーロッパ中の生え抜きの若者を集めたグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラを創設した。彼らが成人していくとマーラー・チェンバー・オーケストラと、時代を遡るように小さなアンサンブル形態へも移った。彼の素晴らしさは今考えると、そのような開拓魂にあったようだが、若い頃の僕にはそのことがちっとも分らなかった。
僕が23歳の時にスカラ座主催の指揮者コンクールで優勝して、スカラ座やコンサートに出始めたころ、多くの道を作ってくれた恩人だ。写真はリゲティの「アトモスフィール」を振った時、本番でクライマックスがズレたとき「あれは君の棒が何拍子でなければいけないところ、これこれこうなったからそうなったのだ」と楽屋で楽譜も見ないで指摘され、「こりゃ恐ろしいすべてお見通しで!」とうめいた頃のスナップ。最近ではハーディングなども彼にたくさん背中を押してもらっている。
野心がこれっぽっちもなく、指揮者とオーケストラの関係を近代的なものにしようとした。時には必要な形としての主従関係さえも取り払おうとしているようにも感じられた。しかし僕は斉藤秀雄、チェリビダッケなどの弟子と自認しているから、彼の抽象的すぎる音楽語法、文学的なやり取りの少ない練習法に違和感があった。
特に何を言いたいかわからないベートーヴェン、モーツァルト、ブラームスなどの演奏の後、生意気にも面と向かって「せっかくベルリン・フィル振っているのに、なぜ自分のやりたいことを付け加えないのですか」と言ったりしたものだった。そうして僕は、自分から離れてしまった...。
エリート音楽一家の家柄、大家であった叔父の研究成果の実践、音楽院の学長のお兄さんや指揮者の息子などのことをひっくるめその豊かさを斜め目線でしか見られなかった自分は今考えると情けない。指揮者の中であんなに素直で裏がない人はいなかったのに。
癌で手術の後すっかり痩せてもスイスやイタリア、そしてベネズエラまで行って後進のために身を捧げていたのが、痛々しくて...さらに遠ざけてしまった。
日本語では巨匠と訳し、畏怖し憧れるカリスマとしての「マエストロ」という存在。彼はそんな形だけの偉さではなく、音楽が出来る喜びと人の間の愛を尊び、サルデーニャの自然を愛した。まるで彼が傾倒したイタリアオペラの大家ヴェルディと同様に。人生の王道ではないか。(寄稿)
◇
いのうえ・みちよし 指揮者、昭和21年、東京生まれ。
1971年ミラノ・スカラ座主催グィド・カンテルリ指揮者コンクール優勝。新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督、京都市交響楽団の音楽監督・常任指揮者を歴任。現在、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督。今年4月、大阪フィルハーモニー交響楽団首席指揮者に就任予定。
「産経新聞」2014年1月27日掲載
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