2014.10.24
大阪府 : フェスティバルホール
午後 7時開演 (午後 6時開場)

大阪フィルハーモニー交響楽団 第482回定期演奏会

大阪フィルハーモニー交響楽団 第482回定期演奏会

ピアノ:ユリアンナ・アヴデーエワ
管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団

ショスタコーヴィチ:ロシアとキルギスの主題による序曲 op.115
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 op.26
チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 op.36


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141108sankei.jpg※2014.11.08(土)産経新聞・夕刊「オケのお仕事」に関連記事が掲載されました

 
 
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【道義より】

大阪フィルハーモニーとの首席になってからの2回目の定期公演は、4月4、5日のショスタコーヴィッチ4番での披露コンサートから闘病の半年を挟むことになった。
N響とのブルックナー9番は作品の持つ神聖さが、僕を助けてくれたが、今回は明らかに違う環境。練習も長く毎日喉も使い体力もぎりぎりだった。しかし結果を井上流??正直に言うと1日目はかなりの問題を残し、袖に帰ってから大いに毒づき、2日目に楽員ともども悩みぬいて練習をやり直し2日目は文字通りCDにしてもいい演奏になった。
初めて、チームとしての感触を得たのは2日目だった。そうはいってもお客さんは1日しか来ないもの。1日目も温かい大きな拍手に、そして楽屋での遠くからも聞きに来てくれた友人知人の皆さんのねぎらいの言葉に、大いに感激させられましたが全員2日目に来てほしかった。
コンサートへのコメントはここまで。この後は面白くもない話ですから忙しい人は読まないように!でも読むならば最後まで読むように。


この2日の変化の理由は、僕の病気とか体力の問題ではないと思える。大事なことなので長くなるがここに書くことにする。
大フィルは練習が西成区岸ノ里にあり(首長が役所をここに集中的に置きなおしたいと言っている場所でもあるようだが)響きすぎ残響が多すぎ、大きなオーケストラの互いの音楽的な掛け合いに適さず、フェスティバルホールの透明感ある大きな器とあまりに違う環境であることが1日目の不安に満ちた音の原因の大半を占めると思われる。新フェスティバルホールを使いこなせていないのだ。ただし指揮者も楽員も、努力はするものの本番前の2時間では心置きなく自分を解放するには時間が足りないのが正直なところ。
僕自身ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランド、南北アメリカ、では当然のように本番のホールでの練習を続けているオーケストラのの演奏会を経験してきた。帰国し音楽監督をやった新日本フィルとは、お寺のお堂、元国鉄の食堂、区民会館の移動練習を長く経験し、京響とも木製の廃校の講堂での練習の後での旧京都会館の日本一悪い音響環境での公演などを経験してきている。大フィルとはこのチャイコフスキーの4番が初顔合わせであったがそのころの練習は扇町のプール脇の荷物置き場を改造した練習場であった。そう・・・そのころに比べれば雲泥の差だけれど!

いま、日本では新日本フィル、アンサンブル金沢のみがホールでの練習→本番の環境がある。京響もそれに近い前日1日をホール練習するようになっているし、PACオケもそれに近い。
「大フィルとは大阪そのものだ」
を定義とする視点で言えば、大フィルの環境は大阪の文化の状況そのものだ。大阪を表現することを試みる伝統ある大フィルも、まだ足枷がはめられて演奏をしているのだ。大阪の文化とはタコ焼きお好み焼き(おいしいけど)や高さを競う建物や阪神野球ばかりではなかろうに。

オーケストラというのは大人にとっても子供にとっても社会での自分の位置を学ぶためのグッズと言ってもよい存在で、お客さんだって座って見たり聴いたりいるばかりではないはずだ。演奏結果に怒ったり喜んだり泣いたり希望を持ったり「何か形の見えない人間にしか経験できないもの」を経験するものだろうに。
大フィルの住む本当の意味での「フィルハーモニー」という建物ができないものか?朝日新聞は人気ある大阪「フェスティバル」ホールで多くの魅力ある貸館企画でお客さんを呼んでいるが、今こそ大阪で大フィルに建設中の朝日ツウィンビルの象徴として片足だけでいいからもう少し深く足を突っ込んでいただけないか?読売はオーケストラを両手で抱えているがそのような形ではなく、もっと象徴的な形で良いのです。

とはいえ、NHKシンフォニーオーケストラ(N響)も練習場での練習を続けながら昨今、実に素晴らしい力を発揮し続けるようになっている。われわれ大フィル内部一人ひとり、財界はじめサポーターの方々にも出来ること、やらねばならない事はたくさんあると思われる。
未来などあまり見ないで、毎日明るくその場その場を積み重ねましょう。

命は有限ですぐそこで終わるかもしれないのだから!