
2006.11.16(木) 19:00開演
東京オペラシティコンサートホール
指揮:井上道義 独奏:ソル・ガベッタ(Vc) パトリチア・コパチンスカヤ(Vn)
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
曲目:ショスタコーヴィチ:祝典序曲/チェロ協奏曲第1番/ヴァイオリン協奏曲第1番
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好き嫌いというものは誰にでもある。
人参が嫌いだ、牡蠣が嫌いだ、デブが嫌いだ、バレエが嫌いだエトセトラ。
アレルギー症ならともかく、好き嫌いには根拠がないものが多い。
小さいときに母親が
「あら00ちゃんはXXXが好きなのねえ、△△は嫌いなのね、なるほどねえ・・・」
とか言っちゃったからに違いないのだ。
ショスタコの音楽があまりポピュラーでないのもその最右翼に入る。
社会主義リアリズムなどと言う、音楽には成し得ないレッテルを貼られたり、
若いころにひどい音のオーケストラ、または駄目指揮者での
演奏を聴いてしまったりしているだけの可能性が高い。
「暗い音楽だ」となんとなく仏壇の中にしまっておくような人も多い。
まてよ、考えてみればこの私の発言も間違っている。
「死は暗い」とは言い切れないし、仏壇だって実はキンキラに輝いているのもある。
音楽は人間と同じだけ二面性、多面性を表現していて、
モーツアルトの音楽が悲しさと喜びを抱き合わせに表現するのを、
今ではみんなが理解し始めている。
アマデウス生誕250周年の影にショスタコーヴィッチ生誕100年があるのは
とても自然かも。
ショスタコの音楽はその2面性をモーツアルトと違った視点から超新星のように
パワフルに白日の下にさらしている。
本当にショスタコーヴィッチの親族は何人も粛清にあって殺されたり
シベリア送りになっている。そんな中での彼の人生と作品なのだ。
彼はあの美しいペテルブルグを愛し、自分の家族を愛し、
自分の芸術能力の天才性を尊敬していたのだ。
芸術は娯楽と言えない事はないが、お遊びではないのだ。
ショスタコの芸術は人の暗い面をなぎ倒し、自分の時代なんてものを飛び越え、
明日への希望を疑いながらも信じようとする我々の音楽だ。
国境があるのは人が体の表面に肌を持つのと同じ。
好き嫌いも一皮向いて考え直してみるべきだ。
------井上道義
テレビでクラシック、それもオーケストラ音楽がそのまま伝わるかというと・・・・それは無理と言い切る。
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武満さんは、作曲家。死んだ後も続く強く存在!そう再確認した一日だった。
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