大阪フィル マチネ・シンフォニー Vol.14

2015.10.07
大阪府 : ザ・シンフォニーホール
午後 2時開演

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ベートーヴェン : 「エグモント」序曲 作品84
モーツァルト : ピアノ協奏曲第19番 ヘ長調 K.459 / ピーター・ゼルキン[pf]
ドヴォルザーク : 交響曲第9番 ホ短調 作品95 「新世界より」

大阪フィルハーモニー交響楽団

【道義より】

大阪フィルと2回続けてモーツアルトのピアノコンチェルトが出来た。それも本当に素晴らしかったティルフェルナーの25番ハ長調!それに昔一度だけ競演したがあまりにも昔で覚えていないピーターゼルキンの19番ヘ長調。

ティルオイレンシュピーゲルなら音楽ファンならだれでも知っているが、「フェルナー」はまだまだ無名に近い、
しかし真に王道を行く演奏で、練習もオケと沢山やったのも幸いし、音響的に多少難しい京都のコンサートホールで、モーツアルトのありとあらゆる引き出しが見える、このコンチェルトの神髄を大フィルと共に(小さな編成にしたのも幸いした)満足行けるものがホールの隅々まで届けられたと思う。
3日あとのピーターゼルキンは、武満徹の作品を僕がまだ20代のころ沢山演奏したのを覚えている人だ。
静かな物腰の中に「混乱した内面を整理しきれないアメリカ」そのもののようなピーターの音楽がモーツアルトにフェルナーとは全く別な意味での陰影をもたらした。
素晴らしいピアニズムだが、amen終止のような和声の動きで解決音を強調するような、誤解を恐れずに書けばベートーベンのような方法をモーツアルトに持ち込んだりしていた。協奏曲だから(指揮者は徹底的に議論してソリストに再考を促す行為もできない事はないが、時間との戦いもあり、結果がそのソリストの持ち味を削ぐことにもなり得るから今回は)ソリストに寄り添ったが、「それはそれで有り」なのが音楽の世界だと思う。
それをしないのが我が恩師、斎藤秀雄、セルジュ、チェリビダケ、なのだ・・・・道義も長く出来なかった態度だ。
若い頃のチョンキョウファ、フーツォンなどの東洋勢、ヴァンクライバーンから果てはバーンスタインに至るまでのアメリカ勢、いわゆるヨーロッパで培われた音楽語法から逸脱した人たちの音楽が西欧のクラシックに新しい地平をもたらしたことも事実だから。
小澤征爾さんも、そのような別な世界からの音楽語法を受け入れ、音楽界を広げようとした人々の中で尊ばれたり、ボイコットされたりしてきたのだ。今はベネズエラの人々がその役を担っているのかも。
ピーターはコンチェルトの後、温かいお客さんの止まない拍手にゴールドベルグ変奏曲の一部を演奏してくれた。
袖で「僕は今まで協奏曲の後は1度もアンコールをやらなかった・・・今日は何だかやっちゃった!」だって。

さて京都での大フィル、ドンジョバンニとシエラザードの傍若無人(チェー君すっばらしいソロ!)
シンフォニーでのエグモントと新世界の常に新しい新鮮さと、
両方とも大フィルらしい即興性と力強さが発揮できたと思う。
俺は同じ日の大フィルを支える懇談会で喉が潰れて苦しかったが、まあいいや。歌手じゃない。


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