読響 第232回日曜マチネーシリーズ

2020.11.29
東京都 : 東京芸術劇場 大ホール
午後 2時開演

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ハイドン:チェロ協奏曲第1番 ハ長調 / 北村陽[Vc]
ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 WAB.107

読売日本交響楽団

チケット: S ¥7,600 A ¥5,600 B ¥4,600 C ¥4,100
演奏会お問い合わせ先: 読響チケットセンター 0570-00-4390

【道義より】

時代は巡る。
マチネーコンサートに用意されるような少ない練習量で、
日本のオーケストラが、日本人指揮者であそこまでの完成度を見せるとは、
僕が北村陽君の時代には誰も全く想像もしなかったことだ。
僕は16才の頃まだ母親に連れられて毎日曜日、カトリック教会のミサに
連れられて行っていた。1年に数回行われるガイジン司祭がラテン語での
「歌ミサ」が聴けた環境でもあった。
その頃、遮蔽棒のある大きな踏切には必ず踏切番のオジサンが居て、
朝から晩まで手動で交通を交通を管理していた。
電車のレール音は「ガタンガタン・・・・ガタンガタン・・・・ガタンガタン」
だった。


読響が日本初のブルックナー8番・・・当時は難曲とされて、人々に
知られてもいなかった・・・をギュンターヴァントが指揮したとき、
俺はティンパニー奏者の野口さんの後ろにスコア片手に隠れて練習を見ていた。
その後、24才の頃からチェリビダケの振る7番をシュツットガルトで、
練習を見させて(隠れていなかった)もらっていた。
数年後偶然僕はヴァントが監督をしていたケルンのグルツニッヒ交響楽団で
ドイツデビューをした。
十年以上後、読売は読売でチェリ氏を招き5日間以上の練習を要求する
彼の言うことを聞き、頑固な彼は彼でヨーロッパの常識では東京から
余りに遠い読売ランドの練習場に通うのを拒否し、ランドのしょうもない
ホテルに泊ることにして・・・・後悔していた。

いつの間にか僕は異邦人的な?マーラー指揮者として、内外のオケでマーラー
を振り、新日フィルとはマーラーチクルスを集中的にやり、
その結果を聞きいたCHICAGO響に呼ばれマーラーの9番を指揮。
素晴らしい出来事に「俺もう死んでもいい」と心底思ったのが今から
30年も前のことになった。

ゾンビ道義はその後、ショスタコーービッチ指揮者に化け?
日比谷公会堂(まだあそこに生きてます)ではショスタコチクルスを挙行し、
病気なんぞもしながら文字通り歳をとり、ブルックナーが身体の細胞が
自然に湧き出るように「思われる」様になったようだ。
でも......16才の桐朋生だった俺と今の俺は
な~~~んにも変わっていない!!
はず・・・・・。

読響のメンバーも、お客さんもは男ばかりではなくなり、
おっさん踏切番も居なくなり指揮者も男ばかりでなくなってきた。


陽君達とコンサートの後、コーヒーで乾杯しながら話した。
彼は電車ではなく,踏切が大好きで,子供の頃踏切近くに座って絵を描いて
居たそうで、3才でディズニーのファゴットの音色に魅せられて、
(子供用ファゴットが世になかったので)チェロを弾く今があるそうだ。
変わってる??ぜ~~~んぜん!!子供を信じた両親に乾杯。
真っ当な世界観で、これから長く、秋の空のように晴ればれした音楽を
イエイエ、目の前にある青い鳥を、当たり前のように人々に届けていける、
普通で超才能溢れる人間だ。

なんかマスクしながら、歌ったりした変な時代がムカーシあったよなーとか
言いながら・・・・・。灰丼の話とかするんだろう。

道義も何人もの魔法使いの弟子  を経験したと言うお話


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