池田香織さんから、代わった新人、林眞暎さん、日本では少ない黒真珠のようなアルト声で素晴らしく、4楽章でホールの空気を変えてくれた。初めての交響曲でのデビューであれだけ出来ることは只ものではなく、未来に大いに期待する。
与えられた才能に合うものだけを識別して大事に歌っていって欲しい。
少年コーラスの先生も相当な歌手だと聞いたが2つの団体、文字通り目が輝やく小さい子から青年に近い男の子だけのコーラスメンバー、オルガン台から未来が吹いてきた。
以前新日のオケメンバーに日比谷野外コンサートの時に着てもらった「偽の五輪マーク風5線みちよしデザインのTシャツ」ピタリだった。うちに秘蔵してあったが、平和祈念のこのイベントに命を繋いでくれ、これを着てもらったアイディアにも感謝してる。ガキたちがコーラス練習のあと「面白かったです」と言ってくれたり「父は指揮者なんです」という子がいてジジイは心底嬉しく元気が出た。
僕の7歳の時のピアノの先生室井摩耶子さんは100歳を超えて今も元気だが、彼女がN響の前身、日響との1945年のバッハのピアノコンチェルトはこの時期、下町が焼け野原になった直前の日比谷公会堂で挙行されたという話を聞いている。成城学園のもうすっかり亡くなっている先輩達からは毎日が灰色だった戦争中、日比谷ぐらいしか音楽が存在しなかったので、爆撃の危険があってもコンサートには通ったんだという話を道義少年は聞かされていた。
近過去に、強めの風邪が流行ったぐらいでコンサートをやめるという「軟弱な」現実を経験している皆さんはどう感じるか?
勿論マーラー30代の愛して欲しい病=偏執狂的な音楽作品は絵空事なのだが、昨日、寒空にもかかわらず墨田に来たあれほど多くの熱狂する殆どが中年以上の男性優位なお客さんと共に、捧げる愛は必ず裏切られ、しかし翌日又新たに産み出されるような、毎日が続くオーケストラ奏者生活のなか、自らを育ててきたすべてをかけて3番という難曲を物ともせず、激烈に演奏した3月9日のコンサートはそんな現実を超える救いがあったと言えないか?
ホルン山田、トランペット山川、トロンボーン山口の三山金管トリオは、蠢くようなコントラバスに支えられ輝き、初練習では穴に埋めてしまいたかったポストホルン市川君も吹く環境を変えたら一矢を報いた結果だった。
道義としては特に1楽章は素直に彷徨う若人だった自分を思い起こし体力のすべてを文字通り死力を尽くした。細かいニュアンスを弦楽器、木管楽器と探り合い、グスタフが仲間入りしたかった「ウィーンの世界」の再現を試みた。平和というものは実はカオスであることが許される世界を指す。皆の思いが時にはアンビバレンツに表現できることが大事だ。
森の動物たちが声を掛けるという3楽章、鳥やロバの嘶き、牛の鼻息、郵便馬車のラッパ、皆都会だけでなく田舎でも聞くのはスマホの中か。(俺の自作のオペラには鳥だけでなく虫の音をふんだんに入れてみた)そのうち空中はうるさいドローンが飛び交うのか?
4楽章、メゾの声でなくアルトの声が聴けた。お客さん!これは本当に稀有な事です。
5楽章女性合唱は男の勝手な夢です。若い女は必ず老いる。どんなにオイルを塗っても。
栗山先生が率いてきた栗友会合唱団とは井上は多くの協演をしてきた。栗山先生も僕も永遠ではない。25年もたったのだ、マーラチクルスをやってから。トリフォニーホールだって。
6楽章、今回はマーラーが幸福な時に楽譜に書きこみすぎた人間不信の思い入れを一度客観的に捉えなおし、世で演奏されるベトベトのテンポは取らなかった。
会葬者がしかたなく喪服を着てハンカチで顔を隠しているような腐った葬式風な演奏は捨て去った。それが死が隣にいる毎日というものだろうが。
