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Schedule 2011.feb

20110213.jpg京都市交響楽団第543回定期

2011/02/13(日) 14:30 ※14:10~プレトーク有

京都: 京都コンサートホール・大ホール 

〜オール・モーツァルト・プログラム〜
歌劇「ドン・ジョバンニ」序曲K.527
セレナード第10番変ロ長調「グラン・パルティータ」K.361(370a)より
交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551

S¥4,500 A¥4,000 B¥3,500 P¥2,000

京都市交響楽団 TEL: 075-711-3090


素晴らしいグランパルティータが現出出来た。これは僕がいた15年前とはレベルの違う再現芸術家達による天国的な時間。アマデウスと言う天才の音楽への京都からの感謝のラブレター。勿論他の2曲も良い線だったが僕的にはあれが一番感動的だった。


20110220.jpg京都市交響楽団特別演奏会 マスカーニ 歌劇「イリス」全3幕
(セミステージ形式・イタリア語上演・日本語字幕付)
<京都コンサートホール&京響、東京芸術劇場&読売日響共同制作>

2011/02/20(日) 15:00

京都: 京都コンサートホール・大ホール 

P.マスカーニ : 歌劇「イリス」
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2008年度三菱UFJ信託芸術音楽賞の奨励賞を受賞!
伝説の舞台を今、再び・・・。
蝶々夫人と並び日本人が等身大で演じ、歌うことの出来る
数少ない西洋オペラの一つを世界レヴェルの舞台で!

Production Notes (from 2008.dec Tyokyo)
IRIS・・・イリスといってもオペラの題名だと知っている人はほとんど居まい。
しかし23年前に藤原歌劇団と二期会が合同で日本初演を行い、故・粟国安彦の
素晴らしい演出によって、蝶々夫人に並ぶもう一つの日本を舞台とした名作が、
日生劇場で人々に感動の嵐を呼び起こした事は心あるオペラファンならば
誰でも記憶している。
そのときの指揮をした井上は長年再演を働きかけてきたが、今回、演出も
勤める形で東京芸術劇場シアターオペラで本邦第2回目の上演を実現する。

東洋の顔と身体を持った歌手達が体格の大きな歌手中心の西欧の
オペラ世界に伍して自然に演じる事のできる数少ない作品だ。
いま、我々は異国情緒さえ感じるジャポニズム時代の着物オペラの世界へようこそ。

井上道義(指揮・演出)
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指揮・演出・字幕原稿 : 井上道義 
イリス : 小川里美
チェーコ(イリスの父) : ジョン・ハオ
大阪(金持ちで好色な若旦那) : ワン・カイ
京都(吉原の芸者屋の主人) : 晴雅彦
ディーア、芸者 : 市原愛 くず拾い : 西垣俊朗
踊り子 : [美]橘るみ(東京シティ・バレエ団)、[吸血鬼]馬場ひかり
人形師 : ホリ・ヒロシ 邦楽 : 杵屋利次郎社中
胡弓 : 篠崎正嗣
合唱 : 京響市民合唱団
管弦楽 : 京都市交響楽

舞台監督 : 幸泉浩司
照明 : 足立恒(インプレッション)
衣裳デザイン : 谷本天志

SS:売切 S¥7,000 A¥6,000 B¥5,000 C¥2,000 学生¥2,000

主催 : 京都コンサートホール、京都市交響楽団、東京芸術劇場、読売日本交響楽団

京都コンサートホール TEL: 075-711-3090


前回のグランパルティータで名演したクラリネットの女性が燃え尽き、筒井君に変わったが追いついてくれた。主役テノールが代わるとか、コンマスが代わるとかフランスではいろいろ経験した僕的には比較的軽い出来事だがありがとう!でもゲネプロで主役のイリスに合唱団員が後ろ向きにドーンと倒れた時はかなり運が良かった。彼は小川さんの腰の痛みのおかげで頭を打たなかったし、上手く倒れた?のでチェロを潰すこともなかったわけだから。マーラーの1番で自分が倒れたこともあったせいか僕は非情にも「こいつただの貧血だ」と判断、小川里美も問題ないと見て判断、指揮そっちのけで奴を抱き起こし続けたゲネプロ。見ていた人には変な演出だと見えただけらしい。そうさオペラはその位の勢いで良いのだ。細かいことより問題は大きなところ!!情熱!音色!声の大きさ、配色、とかだな。(それと字幕だ)京響は琵琶湖でのオペラ経験を重ねていたせいか以前とは打って変わった方向に向かおうというエネルギーが感じられて感心した。何故か練習では左手が疲れたけど。 ほとんど1からやり直した照明の足立さんに天才は粘りの積み重ねとの印象。今回20年ぶりだった舞台監督小栗哲家さんとのコラボも、最後のドライアイスの出し方まで粘っていたので良い成果がありありだった。これ以上細かいことは書いても印象が薄れるからやめるが、お客さんの京都とは思えない長い拍手と強さ、スタンディングな有様は......なぜ今頃なんだと感じるばかり。20年遅いと感じる道義のエゴはチェーコ、キョート、オオサカより強いのかな。可哀想なイリスよ。


ジャポニズム・オペラ《イリス》「iCLASSIC」歌劇「イリス」インタビュー特集ページ

「iCLASSIC」歌劇「イリス」インタビュー特集ページ
http://i-classic.info/iris/interviewiClassic_iris.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●取り戻すべきもの

僕は音楽会以外の「ブログ」など、特になにかを食べておいしかっただの、あそこの店がよかっただの、不特定多数相手を想定して書くことは自分ののよだれを人に見せるみたいなものと感じ、やる気は全くないのだが、今書く気持になった。今朝時間があったから。

《コンビチュニ―の演出したサロメ》を見た長い感想。

2月の終わりに上野文化会館で見たサロメは今まで見てきた欧米のどのサロメよりも「感動」があった。運が悪かったのかもしれないが今まで僕が見てきたオペラサロメは、おおむね、中東系の衣装をまとい演出はサロメダンスを中心とした、どこか人々に「異常な世界を覗き見させるオペラ」という印象に終始していた。

すなわち
+変な服
+変な金満王族の生活
+異常な親子関係
+突然の理由のはっきりしない=変な士官役の自殺
+イカレタ思春期の娘のヌード→それも概してデブの歌い手による15才の娘が踊っていることにするという、席を立って帰りたくなる踊り・・・お能じゃあるまいし・・・または変に踊りのうますぎるプロダンサーによる代理ダンス・・・・
+なにより、(舞台設定で)異常者扱いされた「預言者ヨカナーン」の酷い扱い 
+最後に首を切る音と言う擬音的音楽?後の、斬首人形おもちゃとの見るに堪えないキスシーン等々。

まだまだある。・・・・がこれらすべてを、「お客側は、正常者又は常識ある生活者」と言う決め付けた「覗き見オペラ」のような演出に終始していた(僕の多分10回ぐらいの少ない?サロメ経験ですが)。

それをコンビチュニ―が天才的に、大変音楽的にきれいさっぱりうっちゃってくれたのだ。世界中のオペラファンにとっても乾杯ものだ。

世の中「読み替えオペラ」が氾濫し、「普通にやってよ普通に!!」と叫びながら帰ってきたオペラが幾らもあったが(今もある)、これは基本が違う。何と言っても「音楽中心」なのだ。悔しいが2代目のせいなのか?指揮者でなく指揮者の息子だからか?冗談はさておき・・・

例えば、演出のクライマックスをモノローグである作品最後のサロメの歌に持ってきてくれた事(考えれば当たり前、当然なのだ!音楽はそう書いてある)。また、サロメのヨカナーンへの偏った?恋愛(恋愛なんて偏った心の動きだろうに)表現の歌《愛は苦いもの、でもそれが何だ!》の背後に中年も過ぎたヘロデ(素晴らしい、いやらしい高橋淳さん!はまり役)とヘロデアスとの腐ったような苦い、日常の積み重ねの存在として見せ、サロメの一瞬の血の滴る接吻と対比させるという判り易い(わからないのは子供だけだろう)設定としたこと。

例えば、7つのベールの踊りをサロメに踊らせずサロメが周りの人々を踊らせる・・・踊りを見るという行為とは相手の心を躍らせるという・・・指揮者として又は演奏者としては、特に良く判る演出。

例えば、突然自殺するという設定の若いナラボートとかいう男は、薬か酒かで自分が判らなくなったヘロデ王が何気なく殺す・・・それを自分でも覚えていない、周囲の家来は権力者である王のしたことだから「見ていない、わからない」と言ってしまう、いわゆる裸の王様状態・・・多分どこかの創業社長の最後とかにありそうな、良く判る演出。

例えば、ヨカナーンの座った周りに座る人々の、《最後の晩餐》的構図・・・・これなんかキリスト教原理主義者?に殺されそうな方法・・・なぜなら、この後に行われたキリストの行為をすべてヨカナーンの妄想と捉えているかのごとく、すなわちキリストはヨカナーンと同列の預言者の一人であるという、イスラム教の立場に立ったような危険なもくろみが良く判る演出。

例えば、僕が軽薄にも常に言う「東洋人は衣装も動きも声質も体格もほとんどのオペラには合わない!やめとけ!」という壁を上手いこと、うっちゃってくれた設定だったこと。

幾らでも書き続けられます・・・・・そろそろやめますが。

まあ批判と言えば批判は、オケピットが深すぎオーケストラに弱音器が付いたような音で、R STRAUSSの豊潤なオーケストレーションそのものが、それこそ今回の、マスクをかけられたヨカナーン状態だったこと・・・・これはやはりまだまだ日本人歌手の声量が小さい事を「カバーする」判断なんだろうが。

このあたりはコンビチュニ―(なんと僕より1才だけ年上)もコンサートオペラ形式(井上が20年やり続けているのだあ!)を一度経験してみたら良いと思う。待てよ、彼にその必要はないか、周りの歌手の声もでかいしホールもうまい具合に小さいからな。でも昔のアメ車みたいに燃料?使い過ぎであることは確かだ。何時か日本の様な?新興国にやられまっせ。でも絶対死なないだろうけれど。

そうは言っても私はオーケストラプレーヤーも外で人に見られながら仕事?音楽?をするべきだと思うのだ。彼らこそ閉塞された部屋(ピット)から出さないと。ワーグナーは良い音楽だしバイロイトも素晴らしいが、オレタチャ欧米に住んでいるわけじゃない!

そんなわけであの古い設定、原水爆大戦後の世界のある閉ざされた部屋、または今日本人はメディアにかってに踊らされている《閉塞感にあえぐ日本》と言う幻想なんか早いとこ自分で吹き飛ばすべきなんだ。人々の人生はみな主観なのだ。後期ロマン派の閉塞感とか、世紀末の芸術とか、みんな後から名ずけられたもんだ。確かにコンビチュニ―もそれは感じ、知っているようで、小さな天使のような子供が最後に出て世の希望よ我に続けと温かい結末。子供の未来は末広がりなんだというわけだ。でもそれって逃げだ。自分で朝起きたら自分で毎日子供のように生まれ変われってんだ!

・・・・・・こんなこと書いて一文の足しにもならない・・・・シュトラウス先生はこれらでシコタマ儲けたのにふふふ、彼の「4つの最後の歌」を聴けば80才になっても彼は毎日朝をそして夜を充分に生きていたことが判る。俺も負けない。

最後に多田羅さんご苦労様ありがとう。


以上

井上道義 2011年2月26日異常な朝に