「洗いざらい」は、また書くことにする・・・長くなるし。

ハイドン、朝昼晩は言ってみれば他力本願プロ、また反田との共同作業といえる珍しいプーランクのバレエ用コンチェルト「オーバード=夜明け前」のバレエ音楽で11年の任期を閉めた。これはプログラムメイキングでは天才的な床坊君との、決定でもある。
23歳のピアニスト反田君はかならず指揮を始めるだろう。(煙草をやめれば)
22年前に朝昼晩を井上が初めてやったときのコンマスはとっくにこの世にいない。
だが強い印象が僕の中にずっと生きていた。
井上監督最後のコンサートは、奏者のみならず、信じて知らない曲を聴されに行く「賭け」に勝った多くの聴衆の方にも忘れられない日となったと確信する。
コンサートとはこうあるべきという形がはっきり身をもって提示出来て満足している。エステルハージ侯爵、ノエイル子爵、はもちろん、そのような場を提供してくれたアンサンブル金沢、また東京でのコンサートのスポンサーのレンゴー大坪さんにも心から感謝している。
現コンマス、アビゲイルヤングとは、自己保身的な楽員さん達もいる中、いくつかの改革を協力し合って実現もした。勿論、井上がもっとガンガンと明日の為にやるべき
であっただろうが、OEKも、大阪フィル程ではないが、過去の灰汁のような時代遅れで、保守的な合意?事項の中に自縛されている。
一度全部チャラにして、理想的には、県や市は人件費だけ出してもらい、石川金沢の文化広報教育事業を音楽堂監督に任せてくれればよいのだが、やはりそこは
45万の小都市。井上もそこまで金沢に生活とエネルギーと愛情をかける状況ではなかった。やったら2014年に死んでいただろう。
どうも総ての前提に「税金を納める皆様のOEK、皆様の音楽堂」を演じなければならないとしているようだ。
僕は、宗教よりも、音楽の方が真実で強い、という事を、50年前に発見している。
とは言え、師の斉藤秀雄も50年前、良く言っていた。「僕がやらねばならないのは、できない生徒でも食べて行けるようにするのが役目、出来るやつは放っておいても伸びるのだから」と。ボクチャンそれ、出来ない!
金沢では兼六園、城、東茶屋、21世紀美術館、のどぐろ等の寿司、果ては半豚ライスに人は新幹線で殺到している。駅前の音楽堂は素通りだ。
駅前に「何をやっているの 音楽DO」と、とてつもない巨大な看板を貼ったり、テーマを持った音楽祭 発見が仕組まれていっるラフォルジュルネ(楽しかった)でゴールデンウィークに5万8万と人が来ても、日常的に、観光ついでに中国人?が音楽堂に大挙訪れる事はなかった。その時期以外地元の人で日常的に定期演奏会が地元の人で奪い合いの満杯になる事もなかった。
多分これは G、マーラーの言葉が真実だろう。
100年後には必ず(いや~20年後には)
皆が自分の音楽を理解するだろう(そうなっているだろう。)
そして20年後には、僕が過ごした時代の前向き、外向きだった金沢、
静かに過ごせた街は、変わっているだろう。
有難う!朝の疎水を歩き練習に向かった満ち足りた日々よ!