百音をモネと読んでもよい日本語はカオスな言語と言えるが、家族の思いが詰まって
いるわけだろう、、思い、感情、などを表現するのに、主語を入れないで話せるので
「恋人とむつみあうときには英語は使わない」とバイリングアルだったニュージー
ランド大使館の秘書官が言っていたのを思い出す。日常会話でそれをやられると、
何を言われているのかわからないが。
「音楽」は音楽ことばによる対話、お話、物語であるけれど、それだけでなく
建築でもあり絵描きでもあることが今日もう一度明かされたれたと思う。
このコンサートは、もねが、バルトークの2番を「初体験」したいが世で聴くこの曲,
名曲だが「難解名曲」で、リズムの処理、音程の正確さ、オケとの緊密な関係、
ホールを含め、その他もろもろ本当はもっといい曲なので「私ちゃんとやりたいので
道義先生お願いします」と言い出したのをふくらませたプログラムだ。
しかし、情熱をもって難曲初体験!!!につき合わされる指揮者、オケメンバー観客も
つき合わされるのはたまったもんじゃないではないか!
<最高の結果を出し、忘れられない経験と思えるまで納得いく演奏は絶対やるから>
とのモネちゃんの言葉を井上は100%信じられた。僕の役目はコンサート全体が
忘れられないようにすることだ。

引退決めた俺も体力的に今年ギリギリ(練習というのは本番の3倍指揮者は大変なのだ)
だから多分世界中で俺にしか処理できないクセナキス(大井浩明と今までも癖難kiss
作品チャレンジへの旅をしてきて、知る人ぞ知る世界では太鼓判を押されてる)
ノモス・ガンマ・・・・カオスの秩序とでも言える作品。自分的にはNO.癌魔・・・・
ともう一戦しようか、名古屋のあのホールなら、P席R席L席の人が最も恩恵を
受けるという、価値観のひっくり返し。
そしてそのままで世にも有名なるBORELO!で留飲を下げてもらうアイディア。
照明による耳への不思議な影響も入れさせてもらった。・・・・でもそれは、巷に
あふれる禄でもない音楽を誤魔化すピカピカ、モクモクギラギラ、等の目くらまし、
耳くらましとは一線を画して。

前座は農民音楽採集に明け暮れた平和な時代のバルトークの短い創作音楽
「ルーマニア舞曲」
スコアが残って無くて書いてある通りやると箸にも棒にもかからない曲
(そう、継承なんかない作品)というプログラムでした。
コンチェルトを一点のごまかしもなく弾いた服部百音は、このところ身から出た錆?
若気の至り?で細い腕の腱鞘炎と戦っていて、文字通り危険な橋渡り状態の数か月
だったようだ。
でも全く負けずに薬マミレになってさえ、天才的読譜力記憶力理解力で早いうちから
曲を暗譜。
そこに、トーサイ、チェリ、エーリッヒベルゲルという早く亡くなったルーマニアの
指揮者の影響が巣喰う、俺のバルトーク感をモネに強制的?に違うな...海綿のように
吸い取ってもらっての演奏になりました。特に2日目の3楽章はメニューインと
フルトベングラーよりも音色も3拍子特有の歓びある演奏になってくれました。
名フィルは2日間完売でしたが、このバブル景気に酔うことなく、ステージを作る
人々、胴上げされて職を去る山元さん、いつまでも良い日々の毎日を!
