
指揮者の下野竜也に頼まれて第三回広島国際指揮者コンクールの審査委員長をやりました。今回の結果は1位なし2位二人3位一人でした。
私は広島に係わりが色々あります。長年僕のアイドルであった三宅一生さんは広島出身で、有名な彫刻家イサムノグチ(素晴らしい庭園美術館が高松にある)デザインの戦後間もなく造られた広島平和大橋の生命力に打たれ、いのちをデザインに捧げよう(ファッションだけでなく)と決心したと聞きました。また、私の父正義の父、井上芳麿は大陸横断鉄道工事通訳として、広島県神石郡豊松村から移民、ネブラスカ州のオマハで亡くなりました。父正義は禁酒法時代のアメリカで苦学の末大学を卒業、根強かった激しい黄色人種差別から逃れ、日本に帰国、銀座資生堂に職を得て10歳下の廸子(みちこ)と社内結婚します。その後の両親の太平洋戦争を跨いだドラマティックな人生と、戦後日本の新憲法の問題を私は24年にミュージカルコンサートオペラ〈降福からの道〉に作り上げていました。第一次予選にその作品のタガログ語、英語、日本語が飛び交う場面を課題曲にしてもらいました。
一次予選では世界中のコンクールでよく使われるエグモント序曲が全くアカン参加者が、レチタティーヴォ風なその部分では、目も覚める巧さを見せることも見られました。広島の歌手3人が一人2役で積極的に歌い語り演じ、オーケストラも観客も一体となって、審査は愉しくも示唆に富んだものになったように思います。
また第2次審査は「ドヴォルザーク作の12人編成の室内楽を振る」という課題を、切り込み方を変えて対処しなければならないという、今回の「指揮者」コンクールの凝った内容、いわゆるレコ勉、動画勉、のアマチュア的切り口では対処できない課題曲でした。
本選はシューマンの4番という玄人向けの中央ヨーロッパ・ロマン派ど真ん中の作品でした。下野さんの選曲に脱帽。2年先には、1位が何人か出るような曲が選ばれる??
とは言え失礼ながら・・・
賞金はもう少し出てもしかるべき!!僕が60年前にイタリアで貰った額より少なくて、日本の今の経済力の弱さを感じ、また、邦人参加者に瞠目できる人材が居なかった事には、教育をほとんどやってこなかった私自身の責任を重く感じてしまいました。
わが師、斎藤秀雄の時代には桐朋学園には4つオーケストラがあり、渡米、渡欧の大きなツアーも有りましたし、もう一人の師、S・チェリビダケも年中20人ほどの弟子を連れ廻っていました。
そんな「常識」を見ていたので、それ位やらないと指揮教育をやってはいけないと言う劣等コンプレックスのうちに自分だけを育てて引退してしまった・・・(言い訳)。
テレビでクラシック、それもオーケストラ音楽がそのまま伝わるかというと・・・・それは無理と言い切る。
【NHK/Eテレ】クラシック音楽館 / N響 第1849回 定期公演
一杯のお客さんに囲まれた昨日は、本当の意味で正直に、大フィルの持つものすべてが表現された音楽会だった。
大阪フィル《創立70周年記念》第50回東京定期演奏会
今日はさらにいい演奏になる と思うのが人間の原点。でも良い演奏という基準はなんだ?
N響 第1849回 定期公演 Cプログラム
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武満さんは、作曲家。死んだ後も続く強く存在!そう再確認した一日だった。
新日本フィル #568 ジェイド≪サントリーホール・シリーズ≫