ラ・フォル・ジュルネ新潟2017 [公演番号:211]
0歳からのコンサート

2017.04.29
新潟:りゅーとぴあ コンサートホール
午前 9時45分開演

グラス:2つのティンパニとオーケストラのための幻想的協奏曲
 /ピョートル・コストゼワ、ピョートル・ドマンスキ[Timp]
ブラームス:ハンガリー舞曲から
ドヴォルザーク:スラブ舞曲集 第1集 op.46から

シンフォニア・ヴァルソヴィア

http://lfjn.jp/lfjn2017/program/429.html

チケット: ¥1,500(指定)

【道義より】

僕のマネージャー天才小倉君の言葉の「1月音楽会をやらないで久しぶりの練習ってどんな感じですか?」
「・・・・・ああそうか!知らなかった」という位(休み)の感触がない1月だった。なぜなら7月の大フィルバーンスタインのミサの
演出台本作り、日本語の部分の推敲書き直し、字幕の作成、等で毎日ホントに忙しく、伊豆の別荘でドローンを飛ばして
空中から自撮りをしたことぐらいで毎日缶詰め。時間が残ったら自作の父親主人公の作曲。頭の中で演奏していた。
その間も今も、世間は北朝鮮の問題で騒がしい。

トランプがどう動くか大変危険な状態が続いている。
(危険なのは金正恩ではない!。いま彼がいなくなったら朝鮮半島はカオスだろう。
いま血を流さずに緩やかに新しい政治の形に移行することは非常に難しかろう。だが避けねばならない。
我々はアメリカとロシアの代理戦争が休戦状態で今もある事がこの状況を作り出していること
を忘れてはならない。
経済制裁をやって締め付けている現在の大国側にとって、80年前の日本と比較すれば
「結果として」善かれ悪しかれ朝鮮満州南アジアなどにテリトリーを広げようとした「彼らの権益を犯す」
脅威も、ないのが、今の北朝鮮ではないだろうか。
絞めれば絞めるほどミサイルなどを花火のように打ち上げるだろうし小さな
ボタンの掛け違いで何かが崩れるかもしれない。
そして、何よりあちらに住む普通の市井の人々がいることを忘れてはならないのだ。儒教的精神が強く残る人々が。

 自由とはアメリカの言う自由の意味こそ真理とは言い切れないのだから。
ピストルを持つ自由、人種差別をしないと掲げながら実はする自由。
また一方、物凄い軍備の軍港を作り、食べるものも石油も更に広い場所から搾取しようと
しなければならないほどの人口を養う事が難しくなっている中国との狭間で、
あの国は自分たちなりの世界を作ろうとしていると理解しようとすることは、罪悪で、
能無しな、世間知らずな事であろうか?

 新潟のラフォルジュルネで、バーンスタインのウエストサイドストーリー組曲を中心に、
ラテンなダンス音楽を演奏した。中には、メキシコのマルケスとかアメリカのフィリップグラスの作品、
僕にとっては初めての、当然新潟のお客にとっても初めて(発見の)の作品もあった。
やってみてなかなか面白く、体に解放感が満ちて来て、クラシック音楽の狭い 固定観念をまた広げてくれた。
子供がたくさん来るコンサート、ラフォルジュルネの本当の可能性は、 こういう所にあるはずだ。
勿論、東欧すなわちワルシャワのオーケストラによる
ウエストサイド(西側の)ストーリーは多少ポーランド風な遠慮と暗さとが、ないまぜになって
イーストサイドになってはいたが、それはまた一つの昔から知られていた発見かな。
東京では久しぶりに新日フィルとなかなか濃密な練習の後、80才の安倍圭子さんとのマリンバコンチェルト
(本番は先生さすがにオーラがすごかったが物忘れもあったな)と伊福部昭の名曲日本組曲
(昔僕がオーケストラ版を初演している)の忘れられつつある日本の祭りの音楽の印象からの演奏。
そして真の名曲バカロフのミサタンゴを東響コーラス≪暗譜≫と三浦一馬の男の色気のあるバンドネオン付きで
の心に残る演奏が出来た。バリトンのコロン氏はベネズエラの人。メゾソプラノ池田香織は声も人間も素敵だった。
ここでちょっと考えても見てほしい!
提供する方も聴きに来る方も、なんとなくフォルジュルネとは、安い、短い、一日の中で選択枠が大きい、
という表面的なところに目が行っていないか?
この音楽祭の個性の本質を、理解せず、また、しっかり観客に説明する努力もせず続けていたとは言えないか?
その責任の一端は 特に金沢では井上にもあったと思うが・・・。言わせてもらうと、そんなテツガク、
誰も耳を貸さなかった。
10年前に東京で「フランス直輸入!エスプリ、新しいプログラム作りのコンセプトによる「フォル」な日、
すなわち(イカレタ、シッチャカメッチャラな、てんやわんやな)日、という、オペラ、フィガロの結婚のように
「日常にこそ芸術を見つけよう!」 と言う 思想で始まった、ラフォルジュルネを、井上は金沢に紹介し、
続けてきたが、今年から彼ら、すなわち金沢は 「緑と風の」音楽祭と言う名のものを代わりに立ち上げた。
井上には相談なく。
僕とて、ラフォルジュルネが欠点の全くない音楽祭と思っているわけではない。特に最近は開催地を広げ(過ぎて?)、
味が薄まり、アイディア倒れな部分が強く、細かなケアー(演奏者と観客への)が無くなり始めていて、出ていても
只の歯車になっているように...感じていたのは事実だ。
この音楽祭の特徴は、
ルネマルタンのアイディアと先取の精神と心広い音楽への愛情に共感した演奏家が、得意なものを、広く聴衆に
ライブで届けると同時に、なかなか自分からは考えの至らない新発見なプログラムを、未体験な演奏者との新鮮な
共演を試みるチャンスを与えられての「フォル」な勇気のある企画が隠されている事も多いはずだ(った)!
また、
例えば子供3歳児以上の入場許可!
みんなすご~~~く目を輝かせて聞いている。でも曲が長すぎ、
寝てしまうことも多々ある。
例えばゼロ歳児入場許可!
人生で一番輝いている時期の母達のために大成功する素晴しい出来事・・・と
抱いている赤ちゃんがタダタダあまりにウルサク どうにもならない時がある・・・細かなケアーを忘れ、
長すぎたり静かすぎる赤ん坊抱いては無理なプログラムだったりも。

しかし、こういう実験的コンサートこそ、出演する演奏者は本当の意味で作品の感動を伝えられる能力がある奏者
(あえて音楽家!とか格付はしない) でなければならない。しかし名が無くとも能力のある人でも、テーマに
合わせるあまり得意の曲ばかりが並べられないで、演奏に問題があることもある。
また、普段と違う出演料の考え方、すなわち一回幾らでなく、1日幾らでの契約方法もあるからこのような運動に
賛成した演奏家である必要もある。
更に書けばもっと多くの可能性が秘められているルネマルタンのアイディアと人脈でのラフォル!だが、
クラシックのコンサートが 持つ、一番素晴らしい長所である、「生音」「生声}によるライブという
方法は、マイクロフォンと映像による 数万人相手の「三大テノール」コンサートやポールマッカートニー
による1枚3万円×3万人のお客相手の 先端テクノロジーに手を借りたライブ?コンサートと比べれば
圧倒的に収入が少ないから、実はポロモーター側にとっておいしいフェスティバルではないのだ。
特記しなければいけないのは、ソリストや小さなアンサンブルと違って、オーケストラは練習時間は
常にコストとの戦いで、どんな一流のオケであっても、練習を重ねればそれだけ、良い音と良い演奏になる
ことは自明の事だ。特にレパートリーではない珍しい曲においては!
そこを上手くプログラミングし、無駄な練習は少なく、必要な練習を多くとるスケジューリングは
マネージメントン最大の力の見せ場であるのだ・・・・本当に大変だな。

新しい「緑と風」の方は何か、舶来のラフォルジュルネより良いものが出来たのだろうか?
黄金週間!!はどんなに日だったのかな?


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