真珠

2025.08.06

今日は広島の原爆記念日。引退前は例えばサマーミューザとか、
もっと前は「道義の夏休み」コンサートシリーズとか、もっと前はサントリー
ホール「現代の潮流」シリーズ、もっと前は・・・・。
原爆記念日式典のテレビ実況を見る、考える、余裕がなかったが、今日、朝、
一人で、ゆっくり観ていた。


こんな灼熱のそれも青空の朝に4000度の爆発・・・。

広島に僕自身は1965年、桐朋の斎藤先生に連れられて広島でのオーケストラ
コンサートで訪れている。
川の土手には掘っ立て小屋がひしめいていてどんな生活なのか?との思い、
・・・は頭の隅に追いやられ、皆と一体になって演奏に集中していったのを強く
憶えている。

今回の県知事の話の中心の言葉に心を強く動かされました。
市長、首相、国連事務総長(代読)子供の宣言、それぞれではあったが、湯崎知事の
言葉の中に今まであまり公的な場で聞いた事のない、しかし重要な視点があった。

真珠湾開戦に触れて、「核を抑止力として保有すること」の一見説得力ある論理に
疑問を持ち,それを、否定さえするために、歴史=ペロポネス戦争、物理学=万有引力、等の
例を出した後、自信過剰な指導者の出現、高揚した民衆の圧力、という現在の米国や
ロシア又はイスラエルを思わせる事象の後に
【我が国も。力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を
切ったように、人間は必ずしも合理的判断が常に働くとは限らない】
と、自らの国の過去の経験を赤裸々に語っていました。

この姿勢は、原爆慰霊碑に刻まれている
「安らかにねむってください過ちは繰り返しませぬから」
という、主語があいまいな文の在り方に通じ、この国の文化ならびに、日本語自体
の持つ哲学が反映されていて、世界に必要なのはこの考え方では?!と納得させられた。

地続きである地理的条件もあり、欧州では有史以来復讐に次ぐ復讐が今も止まらない。
宗教もその神の名のもとに殺し合ってきた。
勿論日本でも「国々」が弓や槍を刀を武器に国中で互いに競い合い、殺し合ってきた
・・・徳川の全国平定迄は。(ここでアイヌや琉球の話で足を引っ張らないように)
しかし、いつかこの国には「神も仏もあるものか」又は神仏一体の考えが取り入れられ、
悪く言えばその曖昧な哲学を自分のモノにして、いわゆる西欧のYES,or NO の分かりやすい
科学的な(?ですが)自我と他者との二元論に立った、善悪、男女、過去と未来、夜と昼、
プラスマイナス、等々で説明される世界観とは、かなり距離のある道を歩んでいるように
思います。(明治維新でその辺が変化を余儀なくされ、先ほどの開戦に飛び込んでしまう
非合理的な考えへ、と行き着くのですが)その2つの考えの相克が敗戦以来、抜け出せない
今の国の根無し草的精神風土となっていると思えます。

☆人間は必ずしも合理的判断が常に働くとは限らない
★人は善意のもとに大変な間違えさえ犯してしまうもの

愛というものの実像は「赦すこと」だと言えるのではないでしょうか?
米国は自国の中に大きな多様性を許容しています。ロシアも、ソヴィエトの時代より前から
広大な大地は多くの民族の多様性を包んできています。
今こそ全ての原子力による軍事力を捨てる、「抑止力という神話」を捨てるときです。

もう寿命は尽きそうだが僕の中にはイサムノグチも、イッセイミヤケも、D・ショス
タコーヴィッチも、L・バーンスタインも、デーモン小暮も生きているし、
育ての父の父の故郷は神石郡豊松村だ。










【道義より】

今日は広島の原爆記念日。引退前は例えばサマーミューザとか、
もっと前は「道義の夏休み」コンサートシリーズとか、もっと前はサントリー
ホール「現代の潮流」シリーズ、もっと前は・・・・。原爆記念日式典のテレビ
実況を見る、考える、余裕がなかったが、今日、朝、一人で、ゆっくり観ていた。

こんな灼熱のそれも青空の朝に4000度の爆発・・・。

広島に僕自身は1965年、桐朋の斎藤先生に連れられて広島でのコンサートで
訪れている。川の土手には掘っ立て小屋がひしめいていてどんな生活なのか?と
の思い、・・・は頭の隅に追いやられ、演奏に集中していったのを強く憶えている。

今回の県知事の話に心を強く動かされました。
市長、首相、国連事務総長(代読)子供の宣言、それぞれではあったが、湯崎知事の
言葉の中に今まであまり公的な場で聞いた事のない、しかし重要な視点があった。

真珠湾開戦に触れて、「核を抑止力として保有すること」の一見説得力ある論理に
疑問を持ちを、否定さえするために、歴史=ペロポネス戦争、物理学=万有引力、等の
例を出した後、自信過剰な指導者の出現、高揚した民衆の圧力、という現在の米国や
ロシア又はイスラエルを思わせる事象の後に
【我が国も。力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を
切ったように、人間は必ずしも合理的判断が常に働くとは限らない】
と、自らの国の過去の経験を赤裸々に語っていました。

この姿勢は、原爆慰霊碑に刻まれている「安らかにねむってください過ちは繰り返しま
せぬから」という、主語があいまいな文の在り方に通じ、この国の文化ならびに、
日本語自体の持つ哲学が反映されていて、必要なのはこの考え方だ! と納得させられた。

地続きである地理的条件もあり、欧州では有史以来復讐に次ぐ復讐が今も止まらない。
宗教もその神の名の下に殺し合ってきた。
勿論日本でも「国々」が弓や槍を刀を武器に国中で互いに競い合い、殺し合ってきた
・・・徳川の全国平定迄は。(ここでアイヌや琉球の話で足を引っ張らないように)
いつかこの国には「神も仏もあるものか」又は神仏一体の考えが取り入れられ、悪く言えば
その曖昧な哲学を自分のモノにして、いわゆる西欧のYES,or NO の分かりやすい科学的な
(?ですが)自我と他者との二元論にたった、善悪、男女、過去と未来、夜と昼、
プラスマイナス、等々で説明される世界観とは、かなり距離のある道を歩んでいるように
思います。(明治維新でその辺が変化を余儀なくされ、先ほどの開戦に飛び込んでしまう
非合理的な考えへと行き着くのですが)その2つの考えの相克が敗戦以来、抜け出せない
今の国の根無し草的精神風土となっていると思えます。

人間は必ずしも合理的判断が常に働くとは限らない
人は善意のもとに大変な間違えさえ犯してしまうもの

愛というものの実像は「赦すこと」だと言えるのではないでしょうか?
米国は自国の中に大きな多様性を許しています。ロシアもソヴィエトの時代より前から
広大な大地は多くの民族の多様性を包んでいます。
今こそ全ての原子力による軍事力を捨てる、抑止力という神話を捨てるときです。

もう寿命は尽きそうだが僕の中にはイサムノグチも、イッセイミヤケも、D・ショス
タコーヴィッチも、L・バーンスタインも、デーモン小暮も生きているし、
育ての父の父の故郷は神石郡豊松村だ。

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