道義爺より 長~~~いブログ。

2025.10.07

【道義より】

道義爺より 長~~~いブログ。

このところ2つ、新作日本人作operaを見に行っての感想を書く。

まず前段。

どちらもお客さんが一杯でスタンディングオヴェーション迄あって驚く。ご同慶の至りだ。
やっかみではないですよ!
若い頃からコンサートでも拍手というのは誰宛なのか、何に対してのものかはっきりしない
と感じていた。公演が何十回と繰り返される演劇界では幕の上げ下げ、役者の出入り迄演出
されていて、拍手が際限なく続くことはどうやら「おかしなこと」らしいし、能や、和物の
舞台では終わってからは静かに帰るのがしきたりなようだ。

絵描きや、もの書きには当然拍手はなく、何作売れたとか、幾らで売れたとか誰が買ったと
かがそれの代わりだろう。50年程前、客席で作曲家の武満徹さんの隣に座って聴いた音楽会
で最後に「演奏家はいいよね、こういう風に毎回拍手貰って!」と言うので「作曲家なんて
すごいです!死んでからでもずっと残るんですから!」と答えたら「そんなん、死んでりゃ
わかりゃしないじゃないかー」と釘を刺されたのを思い出す。
最近はインスタグラムとかユーチューブなら何人が登録したとかがそれなんだろう、皆その
数を競うようだ。人はみな人に観てもらうこと好み、自己の価値確認をそこですると思う。

でもオペラ作品では、拍手は作曲した作家宛なのか、演奏なのか、歌手なのか、指揮なの
か、それぞれが頑張って作ったという結果へなのか、演出の目新しさへなのか、細かさへ
なのか、事故なく終わったからか、み~んなひっくるめてなのか、ヘヘヘ、わからない。
そう感じ初めて幾年月、50歳ぐらいになってからは自分が戴く拍手は、汗をかいた後の
シャワーの音として捉えることにしていた。
でも、ある時楽員さんがはけても舞台に呼ばれる事があり、それは素直に僕に対してのねぎ
らいとして素直に頂くことにしていたが、それが年齢と共に増えてくると、晩年の朝比奈隆
さんが演奏がどんな時でもイワユル「お立ち台」一人に立ち、いかにも素敵で立派な巨匠風
に拍手を受け続けていたことを思い出し、ぞっとして素直になれない自分もいた。

もっと言ってしまうと心の奥底に、「あなたたちにこそ拍手」と思っていた。
だってお金出しているんだろそっちは!こっちは貰っているのだ大谷翔平ほどじゃないが。

ここまでが前段。

昭和女子大の人見記念ホールで9月20日「ニングル」倉本聰原作、渡辺俊幸作曲を観た。
以前僕の指揮したラ・ボエームで体調を崩したバス歌手の杉尾真吾さんが復帰して呼んで
くれたので確認に出向いた、のと・・・40年程前、新日本フィルなどでまだサントリー
ホールが出来る前、音楽会を盛んに開いていた三軒茶屋の人見記念講堂の今を体験したい
気持ちがあったのだ。杉尾君は彼にピタリな役柄でもあり完全復帰だったし、ホールは綺麗
に手入れされていて、昭和女子大学も元気だった。(僕が10代だったころあの辺は過去の
練兵場とか近衛大砲連隊などの跡が残っていて50CCバイクで走ったら国道246の裏は
草花が育ち花咲匂う広々とした空間がまだ残っていた記憶がある・・ジジイの証拠だ!)

が...倉本作品は元の本は良いのだろうが、オペラ脚本としての刈込が足りていないし、
内容も流行のエコロジカル運動から生まれたメルヘンから一歩も出なくて、脆弱だ。
渡辺さんの音楽がどこまでも金太郎飴のごとく変化しないからかもしれない。休憩で帰ろう
と思ったが後半は短いといわれ長居した。(ちょうど釧路湿原でメガソーラをどうすると
騒いでいるが、日本は高温多湿で土地も余っていないので、人出がないからと言って置いて
おくだけのメガソーラは無理。何年かすると蔓に巻かれるのがオチだ。反射が眩しいとの
問題は解決は出来るだろうが・・・。カリフォルニアとか行くと高速道路を車で走って5分
経ってもずっとメガソーラが地平線までオレンジの苗の代わりに植わって?居る、がその位
の規模でないとメガではないだろう。モロッコの砂漠やゴビ砂漠辺りでやるべき事業だろう。)

渡辺さんのこの作品、分かりやすい?旋律なのか?決まりきった音型だらけで歌にはドラマ
を盛り上げるパワーが無く、いつもA定食B定食が続く。とはいえしっかり学ばれた音の姿は
無理なく音は左から右へ、繋がって巻物の様にコロコロと進み、何故かスピリチュアリスト
として有名な江原啓之さんが、森の妖精ニングルの長の役で大事なところに出て来て歌うが、
声が揺れるのなんのって!でもきっとこの方お客さんを呼ぶのだろう。
☆切符を買って彼を見に来た沢山の人たちは彼の声の状態になにも思わないらしく不思議。
監督の郡愛子氏は昭和音大や学校や藤原歌劇団を背負っていて背に腹は代えられないと
思われる。
だからこそ観客のオペラに対する態度に正直、腹が立つ。
舞台芸術は人を明日から変える力があるものなのに。音楽は宗教よりも強いものなのに。
江原さんとしては少しでもオペラ界に役に立てばという思いなのだろうが。少し前に
文芸春秋誌に載った長嶋茂雄さんのお話を思い出す。
https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h10309

そして昨日10月5日大宮ソニックシティーで「平家物語」(2日目)を観に行った。
これは今大活躍中の下野竜也君に呼ばれてオケも読響なので愉しみ一杯でした。
大宮のソニックシティーで、新しい日本語オペラがどんな結果になるか、いわゆる現代音楽
を書く酒井健治さんがオペラを、歌を、どう書くかにも期待した。
その上今まで井上と大事な作品で協演して来た池田香織さんが病からの復活(時子役)だし
なんと言ってもコントラアルトとして今、日本一の素晴らしい声質の林眞瑛は池田さんに
変わってのマーラー2番、3番で感動的だった存在。平清盛役の池内響はマルチェーロ
(ラ・ボエーム)で本格的に深く演じてくれた名バリトンだし、平重盛役では個性的で
強く明るい声で僕のオペラの主役を歌ってくれた工藤和真がいるし、もうひとりのテノール
小堀勇介さんは俺が腎臓病の後リハビリを兼ねて聴きに行ったハノイでのベトナム日本共同
作品、本名徹次指揮の「アニオー姫」の中心役でピタリの役だったのを思い出し、
徳子役のソプラノ川越未晴さん(アニオー姫役だった!)は今回も色彩をもって声が輝き、
魅力いっぱいな演技だった。
頼朝役の高橋宏典さんは僕の作品では申し訳ないような日本人将兵役であった人、義経役の
村松稔之さんは野田秀樹さん演出の全国縦断モーツアルトオペラ、「フィガロの結婚」で
ケルビーノ役をピタリな体形と声質で存分に活躍してくれていた人。
皆、今が旬の歌手達が献身的に酒井さんの書いた全曲レスタティーヴォしかないオペラと
呼んではいけないような姿のこの作品、優秀なコルペティや副指揮者人たちと共に、生理的
は幸福ではない音域や、それぞれの良いところを殺しさえしかねない音域が与えられている
パートを、真の意味で一丸となってプロフェッショナルな努力を重ねたように感じた。

岡本太郎は芸術は人が「何だこれ!!」と驚くものでなければ!と言い続けていて、僕も
深く共感し、座右の銘としていたが、これは確かに「なんだこれ!!」だった。
でもちょっと違う意味でだけれど。
3時間以上かかるし、説明ばかりでドラマになっていないので、俺だったらこんな無駄に
大変な仕事受けないです。俺はプロじゃあないんだろうな。でも「武士は食わねど高楊枝」
とか言うではないか。

以前オリヴィエ・メシアンのオペラ?オラトリオ?「アッシジの聖フランチェスコ」を
小澤征爾さんが83年にパリで初演したときにウィーンから聴きに行ったが・・・物凄く
長く(4時間半)だった。知らずに行った公演日が正装服のみで観客席に座れる日だったに
もかかわらず服を持っていなくて、仕方なく以前から知っていた支配人のお陰でなんと
オペラ座のど真ん中の大統領たちが座る席の後ろに紛れ込ませてもらったが・・・・歌われ
ているフランス語が全く分からず、休憩中もそんなわけでホワイエにも出られなくて苦しい
経験だったのを思い出す。征爾さんは晩年の目の見えなくなった作曲家がどでかいサイズで
書いたスコアー原本を背負って奴隷のように歩いていた。だれも助けてあげてなかった。
あれは10キロはどころではなかった。そんな時彼と韓国料理屋でキムチなどを食べながら
「征爾さん、よくやる!驚く!俺だったら2千万円もらっても嫌ですよ」と馬鹿を言って
しまいまたまた嫌われたのを思い出す。

今回の下野君、読売交響楽団はそんな事件に勝る世界一流な仕事をやり遂げていた。
どうやら2日目は、1日目に比べて大いにこなれて、音楽になっていたという評判を聞いて
いる。特にフルートパートとか高いホルンパート辺りは特別手当が必要だったのではないか。
僕が下野君の年だった頃と比べたり、小澤さんがN響と上手く行かなくて外に出て行ったこ
ろと比べると今プロとして難曲相手でもさらっと演奏してしまう・・・時代は進んだのだ。

それなのに..田淵久美子氏(篤姫では僕も吉俣良さんののテーマ音楽を振ったが名作だった)
が、今回は初めてのオペラ脚本家としてオペラに必要な人物の書き分けが足りていない。
脚本の中にこんな時代の優秀な歌手達なのだから彼らに一つづつでも「アリア」を歌って
もらう設定を描きこみでもしていたらと思う。・・・・もっとも今の日本人、歌をうたわ
ないか・・・歌っても皆マイク握って人真似するだけか・・・それもコブシまで模倣したり
して得点を競ったりするトホホな世界。まあ俺の時代もロカビリー歌手の真似舞台ばかり
だったから今に始まった事ではないけれど。


とは言え何が問題かってやはりこの新作2作とも演出が問題。ニングルも、平家物語も。
チープなアイディアから生まれた、チープな舞台作り、平家はいい加減に真似した歌舞伎風な
朱色舞台、そこに色の質の違う紅色のLED色をかまわず乗せる照明のナンセンス。
海を表す歌舞伎風波の布の動きなんか安い不織布でやるから波打たないし、練習を重ねていな
いのがまる判りな黒子達は明るいところでもノソノソ見えまくって動きも美しくない。
これだから俺は長年、オペラ専門の演出助手あがりの人とはやってこなかった。お金も時間も
法外にかけねばオペラは出来ない。踊り役の子たちもキリスト教のミサの侍者のアルバまがい
の赤と白の服に何故かコックさんのような長い帽子に色違いな長手袋。
何なのこういうのすべて70年代の竹の子族的まがい物衣装?どこが平家物語?
別にオーセンティックな時代装束を望んだりしないが余りに適当な学芸会もの。
折角大宮のソニックシティーホールが奇策を誰かが考え、時代錯誤のジジイなんかには全く
無名の八木勇征という女の子みたいに顔の綺麗なタレントを語り部として琵琶を実際に弾き
ながら出演してもらい、何故か殺陣まで見せちゃうという奥の手でニングルの江原さんよりも
集客に成功していたのだ!だが其のせいで引き伸ばされた繰り返された口語調の祇園精舎の
鐘の音・・・と1点豪華な衣装の彼、一回ぐらい文語調への変化とかもない。ドンジョバンニ
の地獄落ち風で、池内響さんの素晴らしい(土蜘蛛風アイディアの演出ここは成功していたが
冗長)と演技で終えるべきだった。
おかげで終わりは「次回をお楽しみに」という大河ドラマ風に幕を降ろさせたのなんか、
YOU詐欺。つる んでる


でも終わってから高円宮妃久子殿下が出演者全員に幕の閉まった舞台で真っ当極まる批評を
なさっていたのが流石だった。

【道義より】

道義爺より 長~~~いブログ。

このところ2つ、新作日本人作operaを見に行っての感想を書く。

まず前段。

どちらもお客さんが一杯でスタンディングオヴェーション迄あって驚く。ご同慶の至りだ。
やっかみではないですよ!
若い頃からコンサートでも拍手というのは誰宛なのか、何に対してのものかはっきりしない
と感じていた。公演が何十回と繰り返される演劇界では幕の上げ下げ、役者の出入り迄演出
されていて、拍手が際限なく続くことはどうやら「おかしなこと」らしいし、能や、和物の
舞台では終わってからは静かに帰るのがしきたりなようだ。

絵描きや、もの書きには当然拍手はなく、何作売れたとか、幾らで売れたとか誰が買ったと
かがそれの代わりだろう。50年程前、客席で作曲家の武満徹さんの隣に座って聴いた音楽会
で最後に「演奏家はいいよね、こういう風に毎回拍手貰って!」と言うので「作曲家なんて
すごいです!死んでからでもずっと残るんですから!」と答えたら「そんなん、死んでりゃ
わかりゃしないじゃないかー」と釘を刺されたのを思い出す。
最近はインスタグラムとかユーチューブなら何人が登録したとかがそれなんだろう、皆その
数を競うようだ。人はみな人に観てもらうこと好み、自己の価値確認をそこですると思う。

でもオペラ作品では、拍手は作曲した作家宛なのか、演奏なのか、歌手なのか、指揮なの
か、それぞれが頑張って作ったという結果へなのか、演出の目新しさへなのか、細かさへ
なのか、事故なく終わったからか、み~んなひっくるめてなのか、ヘヘヘ、わからない。
そう感じ初めて幾年月、50歳ぐらいになってからは自分が戴く拍手は、汗をかいた後の
シャワーの音として捉えることにしていた。
でも、ある時楽員さんがはけても舞台に呼ばれる事があり、それは素直に僕に対してのねぎ
らいとして素直に頂くことにしていたが、それが年齢と共に増えてくると、晩年の朝比奈隆
さんが演奏がどんな時でもイワユル「お立ち台」一人に立ち、いかにも素敵で立派な巨匠風
に拍手を受け続けていたことを思い出し、ぞっとして素直になれない自分もいた。

もっと言ってしまうと心の奥底に、「あなたたちにこそ拍手」と思っていた。
だってお金出しているんだろそっちは!こっちは貰っているのだ大谷翔平ほどじゃないが。

ここまでが前段。

昭和女子大の人見記念ホールで9月20日「ニングル」倉本聰原作、渡辺俊幸作曲を観た。
以前僕の指揮したラ・ボエームで体調を崩したバス歌手の杉尾真吾さんが復帰して呼んで
くれたので確認に出向いた、のと・・・40年程前、新日本フィルなどでまだサントリー
ホールが出来る前、音楽会を盛んに開いていた三軒茶屋の人見記念講堂の今を体験したい
気持ちがあったのだ。杉尾君は彼にピタリな役柄でもあり完全復帰だったし、ホールは綺麗
に手入れされていて、昭和女子大学も元気だった。(僕が10代だったころあの辺は過去の
練兵場とか近衛大砲連隊などの跡が残っていて50CCバイクで走ったら国道246の裏は
草花が育ち花咲匂う広々とした空間がまだ残っていた記憶がある・・ジジイの証拠だ!)

が...倉本作品は元の本は良いのだろうが、オペラ脚本としての刈込が足りていないし、
内容も流行のエコロジカル運動から生まれたメルヘンから一歩も出なくて、脆弱だ。
渡辺さんの音楽がどこまでも金太郎飴のごとく変化しないからかもしれない。休憩で帰ろう
と思ったが後半は短いといわれ長居した。(ちょうど釧路湿原でメガソーラをどうすると
騒いでいるが、日本は高温多湿で土地も余っていないので、人出がないからと言って置いて
おくだけのメガソーラは無理。何年かすると蔓に巻かれるのがオチだ。反射が眩しいとの
問題は解決は出来るだろうが・・・。カリフォルニアとか行くと高速道路を車で走って5分
経ってもずっとメガソーラが地平線までオレンジの苗の代わりに植わって?居る、がその位
の規模でないとメガではないだろう。モロッコの砂漠やゴビ砂漠辺りでやるべき事業だろう。)

渡辺さんのこの作品、分かりやすい?旋律なのか?決まりきった音型だらけで歌にはドラマ
を盛り上げるパワーが無く、いつもA定食B定食が続く。とはいえしっかり学ばれた音の姿は
無理なく音は左から右へ、繋がって巻物の様にコロコロと進み、何故かスピリチュアリスト
として有名な江原啓之さんが、森の妖精ニングルの長の役で大事なところに出て来て歌うが、
声が揺れるのなんのって!でもきっとこの方お客さんを呼ぶのだろう。
☆切符を買って彼を見に来た沢山の人たちは彼の声の状態になにも思わないらしく不思議。
監督の郡愛子氏は昭和音大や学校や藤原歌劇団を背負っていて背に腹は代えられないと
思われる。
だからこそ観客のオペラに対する態度に正直、腹が立つ。
舞台芸術は人を明日から変える力があるものなのに。音楽は宗教よりも強いものなのに。
江原さんとしては少しでもオペラ界に役に立てばという思いなのだろうが。少し前に
文芸春秋誌に載った長嶋茂雄さんのお話を思い出す。
https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h10309

そして昨日10月5日大宮ソニックシティーで「平家物語」(2日目)を観に行った。
これは今大活躍中の下野竜也君に呼ばれてオケも読響なので愉しみ一杯でした。
大宮のソニックシティーで、新しい日本語オペラがどんな結果になるか、いわゆる現代音楽
を書く酒井健治さんがオペラを、歌を、どう書くかにも期待した。
その上今まで井上と大事な作品で協演して来た池田香織さんが病からの復活(時子役)だし
なんと言ってもコントラアルトとして今、日本一の素晴らしい声質の林眞瑛は池田さんに
変わってのマーラー2番、3番で感動的だった存在。平清盛役の池内響はマルチェーロ
(ラ・ボエーム)で本格的に深く演じてくれた名バリトンだし、平重盛役では個性的で
強く明るい声で僕のオペラの主役を歌ってくれた工藤和真がいるし、もうひとりのテノール
小堀勇介さんは俺が腎臓病の後リハビリを兼ねて聴きに行ったハノイでのベトナム日本共同
作品、本名徹次指揮の「アニオー姫」の中心役でピタリの役だったのを思い出し、
徳子役のソプラノ川越未晴さん(アニオー姫役だった!)は今回も色彩をもって声が輝き、
魅力いっぱいな演技だった。
頼朝役の高橋宏典さんは僕の作品では申し訳ないような日本人将兵役であった人、義経役の
村松稔之さんは野田秀樹さん演出の全国縦断モーツアルトオペラ、「フィガロの結婚」で
ケルビーノ役をピタリな体形と声質で存分に活躍してくれていた人。
皆、今が旬の歌手達が献身的に酒井さんの書いた全曲レスタティーヴォしかないオペラと
呼んではいけないような姿のこの作品、優秀なコルペティや副指揮者人たちと共に、生理的
は幸福ではない音域や、それぞれの良いところを殺しさえしかねない音域が与えられている
パートを、真の意味で一丸となってプロフェッショナルな努力を重ねたように感じた。

岡本太郎は芸術は人が「何だこれ!!」と驚くものでなければ!と言い続けていて、僕も
深く共感し、座右の銘としていたが、これは確かに「なんだこれ!!」だった。
でもちょっと違う意味でだけれど。
3時間以上かかるし、説明ばかりでドラマになっていないので、俺だったらこんな無駄に
大変な仕事受けないです。俺はプロじゃあないんだろうな。でも「武士は食わねど高楊枝」
とか言うではないか。

以前オリヴィエ・メシアンのオペラ?オラトリオ?「アッシジの聖フランチェスコ」を
小澤征爾さんが83年にパリで初演したときにウィーンから聴きに行ったが・・・物凄く
長く(4時間半)だった。知らずに行った公演日が正装服のみで観客席に座れる日だったに
もかかわらず服を持っていなくて、仕方なく以前から知っていた支配人のお陰でなんと
オペラ座のど真ん中の大統領たちが座る席の後ろに紛れ込ませてもらったが・・・・歌われ
ているフランス語が全く分からず、休憩中もそんなわけでホワイエにも出られなくて苦しい
経験だったのを思い出す。征爾さんは晩年の目の見えなくなった作曲家がどでかいサイズで
書いたスコアー原本を背負って奴隷のように歩いていた。だれも助けてあげてなかった。
あれは10キロはどころではなかった。そんな時彼と韓国料理屋でキムチなどを食べながら
「征爾さん、よくやる!驚く!俺だったら2千万円もらっても嫌ですよ」と馬鹿を言って
しまいまたまた嫌われたのを思い出す。

今回の下野君、読売交響楽団はそんな事件に勝る世界一流な仕事をやり遂げていた。
どうやら2日目は、1日目に比べて大いにこなれて、音楽になっていたという評判を聞いて
いる。特にフルートパートとか高いホルンパート辺りは特別手当が必要だったのではないか。
僕が下野君の年だった頃と比べたり、小澤さんがN響と上手く行かなくて外に出て行ったこ
ろと比べると今プロとして難曲相手でもさらっと演奏してしまう・・・時代は進んだのだ。

それなのに..田淵久美子氏(篤姫では僕も吉俣良さんののテーマ音楽を振ったが名作だった)
が、今回は初めてのオペラ脚本家としてオペラに必要な人物の書き分けが足りていない。
脚本の中にこんな時代の優秀な歌手達なのだから彼らに一つづつでも「アリア」を歌って
もらう設定を描きこみでもしていたらと思う。・・・・もっとも今の日本人、歌をうたわ
ないか・・・歌っても皆マイク握って人真似するだけか・・・それもコブシまで模倣したり
して得点を競ったりするトホホな世界。まあ俺の時代もロカビリー歌手の真似舞台ばかり
だったから今に始まった事ではないけれど。


とは言え何が問題かってやはりこの新作2作とも演出が問題。ニングルも、平家物語も。
チープなアイディアから生まれた、チープな舞台作り、平家はいい加減に真似した歌舞伎風な
朱色舞台、そこに色の質の違う紅色のLED色をかまわず乗せる照明のナンセンス。
海を表す歌舞伎風波の布の動きなんか安い不織布でやるから波打たないし、練習を重ねていな
いのがまる判りな黒子達は明るいところでもノソノソ見えまくって動きも美しくない。
これだから俺は長年、オペラ専門の演出助手あがりの人とはやってこなかった。お金も時間も
法外にかけねばオペラは出来ない。踊り役の子たちもキリスト教のミサの侍者のアルバまがい
の赤と白の服に何故かコックさんのような長い帽子に色違いな長手袋。
何なのこういうのすべて70年代の竹の子族的まがい物衣装?どこが平家物語?
別にオーセンティックな時代装束を望んだりしないが余りに適当な学芸会もの。
折角大宮のソニックシティーホールが奇策を誰かが考え、時代錯誤のジジイなんかには全く
無名の八木勇征という女の子みたいに顔の綺麗なタレントを語り部として琵琶を実際に弾き
ながら出演してもらい、何故か殺陣まで見せちゃうという奥の手でニングルの江原さんよりも
集客に成功していたのだ!だが其のせいで引き伸ばされた繰り返された口語調の祇園精舎の
鐘の音・・・と1点豪華な衣装の彼、一回ぐらい文語調への変化とかもない。ドンジョバンニ
の地獄落ち風で、池内響さんの素晴らしい(土蜘蛛風アイディアの演出ここは成功していたが
冗長)と演技で終えるべきだった。
おかげで終わりは「次回をお楽しみに」という大河ドラマ風に幕を降ろさせたのなんか、
YOU詐欺。つる んでる


でも終わってから高円宮妃久子殿下が出演者全員に幕の閉まった舞台で真っ当極まる批評を
なさっていたのが流石だった。

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ショスタコーヴィチ交響曲全集 at 日比谷公会堂
「今はショスタコーヴィチは僕自身だ! 」と語る井上道義2007年に成し遂げた「ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏会at日比谷公会堂」。 日本人指揮者唯一の偉業となる一大プロジェクトをぜひお聴き下さい。

Schedule

降福からの道 欲張り指揮者のエッセイ集
「僕の人生、音楽だけではないが、正面から指揮をやってきたらこれほどの発見があったことに驚いている!」

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ショスタコーヴィチ:交響曲第13番「バビ・ヤール」

井上道義(指揮) NHK交響楽団 アレクセイ・ティホミーロフ(バス) オルフェイ...

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ザ・ラスト・モーツァルト

井上道義(指揮) 仲道郁代(ピアノ/ヤマハコンサートグランドピアノCFX) アン...

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矢代秋雄:交響曲、伊福部昭:日本狂詩曲 井上道義&群響

未来への希望あふれる邦人作品 井上道義(指揮) 群馬交響楽団 矢代秋雄:交響曲 ...

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ショスタコーヴィチ:交響曲 第5番

井上道義(指揮) 読売日本交響楽団 ショスタコーヴィチ:交響曲 第5番 ニ短調 ...