
昨日東京ドーム(初めて行った)でお別れの会があり、その感想を書く。
僕自身は子供の頃近視だったせいで野球がヘタだったし、球技はバスケットボール
を中学でやった位で親近感がないが、さすがに長嶋茂雄さんは良く知っていた。
今回のお別れ会の感触は非常に良くて、時折感じる集団への反発もなく帰ってきた。
参加者は勿論球団関係者が多かったが、みな別れの言葉も冗長にならず、完全暗記だった
王選手、細心に書いたものを読んだゴジラ松井、役者と野球を=89の響きで結んだ
北大路欣也、みな流石。映像での高市首相の自然な話、360度如才ない翔平選手、
多少挑戦的なイチローの映像の出し方も人選も良かった。
沢山の人々の献花の交通整理も一体誰が演出?をしたのか感心してしまった。
ほとんど知っている人もいない人々の中でも、心に響く良い経験をさせてもらった。
僕が今回呼ばれたのはたった一回のコンサートでの長嶋さんとのモーツアルト談義が
あったからだが、その時の顛末が池田卓夫さんのコラムにまとまっているので添付。
実は以前、何人かの反応に一分間指揮者コーナーへの僕の言葉への意見が散見された
が...やはり例え相手が子供のそれであっても長嶋さんの態度を借りてもう一度書く。
「目を輝かせる子供たち」とか「オーケストラを身近に感じてもらう」ための善意の
「一分間」という意見には賛成しない。
ファンの人が長嶋やイチローや翔平をかっこいいと思うのは自由、カラヤンやクライバー
を「かっこいい」と思うのも。「格好良い」と僕だって思う。
しかし・・・!その人たちのそれは結果なのだ。
野球選手、サッカー選手、役者であれ、絵描きであれ、歌舞伎役者であれ、ミュージカル
ダンサーであれ、アナウンサーであれ、インスタグラムにナルシスティックでお手軽な
「映像を上げる」のとは大いに違う。
どんな部門であれ一流なんてそんな軽い憧れから入った人は脱落するか、問題を抱える
ことになる。だから、長嶋さんの「専門家への敬意」という視点こそ子供の頃に
教えるべきだと思い「一分間指揮者コーナー」に反対なのです。
一分間ピアニストコーナー、一分間小説家コーナー、一分間首相コーナーとか有るか!
指揮だけそんな視点で見るのは、お巡りさんや電車の運転手になりたいのと同じ程度。
ヤメテくれ!
(実際世界中楽員たち、マネージャーでさえ指揮の良し悪しがほんとの意味で判る人は
少ない。テクニックに興味さえないようだ、野球や相撲なら毎日ああでもないこうでも
ないと解説の仕事さえあるが)
・長嶋茂雄の一期一会、勝負の後のモーツァルト - 通奏低音 | ストイカ
https://stoica.jp/columns/basso-continuo/125