<井上道義的ショスタコーヴィチ世界>1

2007.10.11

<音楽はアートだ! 真実をえぐる響き 井上道義的ショスタコーヴィチ世界>1

(1)アヴァンギャルドの時代 交響曲第1番~第3番

【交響曲第1番ヘ短調作品10】
[ショスタコーヴィチの全ての爆発を確認する]
〈作曲〉1924~25年

〈初演〉1926年5月12日、ニコライ・マルコ指揮、レニングラード交響楽団

〈楽章構成、演奏時間〉4楽章、約35分
第1楽章アレグレット-アレグロ・ノン・トロッポ
第2楽章スケルツォ アレグロ
第3楽章レント-アレグロ-第4楽章レント-アレグロ・モルト

〈編成〉木管楽器9、金管楽器11、打楽器8、弦5部

〈日本初演〉1931年10月25日、
山田耕筰指揮、新交響楽団(現・NHK交響楽団)第96回定期演奏会

〔作品について〕
 レニングラード音楽院(現・サンクトペテルブルク音楽院)卒業制作として作曲。
4つの楽章による古典的な形式を墨守しながら、斬新な響きを盛り込んだアヴァン
ギャルドな音感覚に貫かれている。師のグラズノフの計らいによる公式デビューは大
成功。「ソヴィエト国家が育てた天才」とたたえられ、ワルター、ストコフスキーら
によって西欧、アメリカですぐさま初演された。

≪井上道義の目≫
 19歳の、すでにそれまで4年間家族の経済を支えてきたしっかりした少年の模範
的卒業作品。しかし、ここそこに彼の才能の爆発、以後の彼自身の心の支えになる独
自の響き、形、性格が隠れている。彼は天才だが遅咲きのほう、ピアノを始めたのは
9歳なのだ。あなたの息子も、今からでも遅くないかも。

〔ショスタコーヴィッチの周辺〕
 1906年に生まれたドミトリー・ショスタコーヴィチは、ピアニストの母の指導
を受け、幼少期から驚異的な才能を発揮。22年に父を亡くすと、結核を患いながら
も映画館のピアニストとして家計を助け、23年にはピアノ科を卒業。困窮する姿に
グラズノフが手を差し伸べ、作曲科に進むことができた。

〔同時代の音楽〕
1924年
團伊玖磨、レオニード・コーガン生まれる
プッチーニ、ブゾーニ、フォーレ没
シベリウス:交響曲第1番、ガーシュウィン:「ラプソディ・イン・ブルー」、
レスピーギ:「ローマの松」、オネゲル:「パシフィック231」初演

1925年
ピエール・ブーレーズ、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ生まれる
サティ没
ベルク:歌劇「ヴォツェック」、山田耕筰:「からたちの花」初演

1926年
新交響楽団(現・NHK交響楽団)創立
カール・リヒター生
プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」、コダーイ:「ハーリ・ヤーノシュ」、ヤ
ナーチェク:「シンフォニエッタ」初演

〔その時、世界は〕
1924年
レーニン没。世界最先端の思潮であったマルクス・レーニン主義に基づく世界革命論
が次第に後退し、一国社会社会主義路線へと転換。芸術革新を推進する力も
退潮に向かい、第4交響曲に対する批判へとつながっていく。
ジョージ・ブッシュ生まれる

1925年
日本、ソ連を承認
イタリアでムソリーニ独裁政権
チャップリン「黄金狂時代」、エイゼンシュテイン「戦艦ポチョムキン」

1926年
昭和元年
モネ没

―――
【交響曲第2番 ロ短調 作品14 「十月革命に捧ぐ」】
[集団の中で住む場所を探す]
〈作曲〉1927年

〈初演〉1927年11月5日、ニコライ・マリコ指揮、レニングラード・フィル
ハーモニー管弦楽団、アカデミア・カペラ合唱団

〈楽章構成、演奏時間〉単一楽章、約17分

〈編成〉木管楽器10、金管楽器11、打楽器8、混成4部合唱、弦5部

〈日本初演〉不詳

〔作品について〕
 国立出版所音楽部門からの依頼を受け、十月革命10周年記念式典のために作曲。
尖鋭的なモダニズムを駆使し、ロマノフ王朝による民衆の弾圧、闘争を表現。27声
部による対位法をなど、多彩な音楽言語を盛り込んでいる。中間部にサイレンが鳴り
響き、冒頭からの混沌は破られ、レーニンをたたえるシュプレヒコールは、シニカル
な響きさえ含んだ勝利の凱歌となって全編を結ぶ。

≪井上道義の目≫
 曲の後半サイレンが鳴るまでは、まるでフォービズム、ある時代のピカソのよう。
午後の授業のベルを聞くまでに遊ぶ奔放な少年の心の中を見るようだ。人は、集団に
入ればその中で自分の住む場所を見つけねばならない、どちらも人間の存在の表裏を
形づくる世界だ。強制とか自由とかの問題ではない。

〔ショスタコーヴィッチの周辺〕
 交響曲第1番で圧倒的な成功を収めながら、ピアニストとしても顕著な才覚をしめ
したショスタコーヴィチは1927年、第1回ショパンコンクールに参加。盲腸炎の
ため本領を発揮することなく特別賞のみを受賞。優勝はレフ・オボーリンだった。

〔同時代の音楽〕
1927年
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、ガリー・ベルティーニ、ヘルベルト・ブロム
シュテット、クルト・マズア、ミヒャエル・ギーレン、コリン・デイヴィス、ナルシ
ソ・イエペス、アルフレード・クラウス生
バルトーク:ピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第4番初演

〔その時、世界は〕
1927年
ソビエト共産党がトロツキーらを除名
リンドバーグ、ニューヨーク―パリ単独無着陸飛行
芥川龍之介没


―――
【交響曲第3番 変ホ長調 作品20 「メーデー」】
[ハプニングアートの時代を30年先取り]
〈作曲〉1929年

〈初演〉1930年1月21日、アレクサンドル・ガウク指揮、レニングラード・
フィルハーモニー交響楽団、アカデミア・カペラ合唱団

〈楽章構成、演奏時間〉単一楽章、約26分

〈編成〉木管楽器9、金管楽器10、打楽器6、混成4部合唱、弦5部

〈日本初演〉不詳

〔作品について〕
 交響曲第2番と同様に合唱付き、単一楽章による作品。「メーデー」の表題に呼応
するかのように前作に比較して前衛性は後退し、労働歌のような平明さを持つ。第2
番と同じく4部に分かれ、アレグレット-アレグロ/アンダンテ/アレグロ-ラルゴ
/モデラートの古典的なスタイルを下敷とする。

≪井上道義の目≫
 音の抽象画を狙ったと思える形式のはっきりしない作曲法、見方によってはオノ・
ヨーコなどのハプニングアートの時代を30年先取りか。言語が音楽に突然社会的実
用品として割り込み、「レーニン」と叫ぶ。聴くほうも演奏するほうもプライバシー
侵害を感じるような違和感。今で言えばテレビコマーシャルの割り込みといえそうな
終結部。

〔ショスタコーヴィッチの周辺〕
 1929年、スターリンがトロツキーを国外追放し、スターリンの独裁体制が確
立。交響曲第2番と並行して作曲した歌劇「鼻」は、官僚体制への痛烈な批判を盛り
込んで、ロシア・プロレタリア音楽協会から酷評を受けた。ソヴィエト国家期待の新
進作曲家は早くも当局を摩擦を生じるが、30年初演のバレエ「黄金時代」はプロレ
タリア音楽として熱烈な支持を受けた。

〔同時代の音楽〕
1929年
立川清登、黛敏郎、ヨゼフ・スーク、クリストフ・フォン・ドホナーニ、ニコライ・
ギャウロフ、ニコラウス・アーノンクール生まれる
バルトーク:弦楽四重奏曲第4番、狂詩曲第1番、レハール:オペレッタ「ほほえみ
の国」初演

1930年
ラザール・ベルマン、ロリン・マゼール、カルロス・クライバー、武満徹生
レオポルト・アウアー、ジークフリート・ワーグナー没
エルガー:「威風堂々」第5番。コダーイ:「マロシュセーク舞曲」、ヴァイル:歌
劇「マハゴニー市の興亡」、ストラヴィンスキー:「詩篇交響曲」初演

〔その時、世界は〕
1929年
スターリン独裁
フーゴー・フォン・ホフマンスタール、ディアギレフ没
トーマス・マン、ノーベル文学賞受賞

1930年
第1回FIFAワールドカップ
ジャン=リュック・ゴダール生まれる
金子みすゞ没

--
産経新聞「モーストリー・クラシック」編集部 谷口康雄

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